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古今和歌集全評釈(上) の商品レビュー

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2020/09/21

最初の解説文が興味深かった。 “待つ心”と”惜しむ心” 「外界の事物を事物のままに詠む写生の歌ではなく、事物に託して、移ろいゆくものを我が身のこととして嘆き悲しむところに抒情の中心がある。花は待たれて咲き、惜しまれて散る。ほととぎすは鳴くのを待たれ、やがて惜しまれて山へ帰る。秋は...

最初の解説文が興味深かった。 “待つ心”と”惜しむ心” 「外界の事物を事物のままに詠む写生の歌ではなく、事物に託して、移ろいゆくものを我が身のこととして嘆き悲しむところに抒情の中心がある。花は待たれて咲き、惜しまれて散る。ほととぎすは鳴くのを待たれ、やがて惜しまれて山へ帰る。秋は涼しい風を待望することから始まり、紅葉が散り敷くのを惜しむことによって終わる。冬はすべて嘆きの対象、降る雪のように我が思いも我が身も消えんばかりであると嘆くのである。人も同じ。”我が身よにふるながめ”を愁え、人の心が花のように移ろいゆくことを嘆き、惜しむのである。」 それは、美しいけれど、まったく非生産的。 お釈迦様は無常だから嘆きなさいとは言っていない、無常なのは当たり前のこと、受け入れなければ進まない。 “みんな聞いて!自分はなんてかわいそうなんだ”の精神。 弱い。 非常に従来の日本人らしい。 花が散るのが惜しければ、ドライフラワーにするとか、温室を作るとか、品種改良とか、色々と方法はあるはず。努力もせずに惜しんで終わりとは怠慢だ。めそめそする資格はない。 でも、それでは和歌は生まれないのだろうなあ。 理屈ではない、それが抒情なのですねえ。 結果や効率を重視しすぎて、そういった弱い人の心から生まれる情緒や美しい芸術を忘れていた。 現代社会人も、和歌に自分の想いをのせる習慣がもっと広くあれば、気質にもかなっているし、心が晴れる人が多いのかもしれない。 POP音楽の歌詞などよりも短く婉曲的なところも良い。

Posted byブクログ