シメール の商品レビュー
美少年に魅せられた男の物語。といっても下心のある感じではなくて、あくまでもその美を愛でる、というような純粋な思いだと感じられるのですが。それでも恋に似た感情なのかも。微笑ましいようにも思えたのだけれど、ぴりぴりと危なっかしい雰囲気が漂う作品です。 秘密を持った少年、どこかしら歪み...
美少年に魅せられた男の物語。といっても下心のある感じではなくて、あくまでもその美を愛でる、というような純粋な思いだと感じられるのですが。それでも恋に似た感情なのかも。微笑ましいようにも思えたのだけれど、ぴりぴりと危なっかしい雰囲気が漂う作品です。 秘密を持った少年、どこかしら歪みを見せる少年の家族、という道具立ても相まって、物語の進み方はとにかく不穏。美しい雰囲気とファンタジックな要素も交えつつ、この生活は絶妙なバランスの上に成り立っている気がしました。だからこそそこに綻びが見え始めた時にどのようになってしまうのか、という危惧が感じられて、それがなんとも言えず不安です。 そしてこの急激な幕切れ。後に残るのはなんとも言えない読後感……でも最後まで「美しい物語」という印象は消えませんでした。
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美しい少年は聖なのか翔なのか? 少年に魅入られた男の柔らかい傲慢さ。 関係を端からみしみしと詰めてきて、息苦しいほど。 少年も男も、欲しい相手の愛情は手に入れられなかった…… 自分で創る物語や、鑑賞してきた絵画や小説に浸る分には、この家は少年にも楽園だったはずなのに。 男が...
美しい少年は聖なのか翔なのか? 少年に魅入られた男の柔らかい傲慢さ。 関係を端からみしみしと詰めてきて、息苦しいほど。 少年も男も、欲しい相手の愛情は手に入れられなかった…… 自分で創る物語や、鑑賞してきた絵画や小説に浸る分には、この家は少年にも楽園だったはずなのに。 男が身勝手極まりないのに紳士すぎて笑える。 が、彼が評する翔の姿は、うっとりするほど美しかった。それがよけいに残酷に感じる。 相手をまるで一人の人間として扱っていないようで。 だからこその美か。 どうしても大谷亮平さんの顔しか浮かばなくて…… 実写化されることがあったらぜひにw
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澁澤龍彦好きにして、ドラゴンクエスト好きの著者が、両者を結び付けたら。 …澁澤龍彦の生年没年は、1928-1987。 服部まゆみの生年没年は、1948-2007。 ふたりとも59歳だか60歳だかなんだね。 DQ1は1986、2は1987、3は1988、4は1990、5は1992、6は1995。 FF1は1987、2は1988、3は1990、4は1991、5は1992、6は1994。 ちなみに本書は2000年刊行。 以上データ。以下推察。 澁澤はDQの衝撃を受けることなく死去した。 澁澤よりも20歳年下の服部は、DQ1の衝撃を30代終盤に受けた、かもしれぬ。そして40代にはRPGの勃興に立ち会っていた。 (ちょっと連想した、いとうせいこう1961-の「ノーライフキング」は1988) 以下極指摘推察。 単純に剣と魔法のファンタジーに浸っていたのは、 DQにおいては4までか。3の職業選択とキャラメイク、4のオムニバス的ストーリーは、それぞれ進化の最先端だった。 FFにおいては3までか。4の重厚なストーリーと、使用キャラの入れ替え。5ではガラフ以外固定だがジョブシステム、どちらもDQと競っていた。(ナーシャ・ジベリの話など、興味は尽きない。) ただしどちらも3において、終盤、いままでこだわっていた世界が実はごくごく一部であって、 DQでは今までいたガイアの地下にアレフガルドがある、と。 FFでは飛空艇エンタープライズを動かしてみたら、なんと自分いたのは浮遊大陸に過ぎず、地上世界の水没版だったり海底版だったりに視野が開けていく。 本書単行本は2000年。 ただの勘。 執筆が1995以降と見做しても、それぞれ4,5,6を享受した可能性は高い。 4から6までをプレイしつつも、まだ純朴にゲーム的快楽に耽っていた3あたりを念頭に置いていたのではないか。 当時のゲームプレイヤー兼ミステリ読者の感想を聞きたいな。 刊行当時でも本作のRPG観は古臭かった。というかステレオタイプだった。のではないか。 こんな推測、著者と懇意だった編集者へのインタビューひとつで吹き飛ぶものだろうけれども。 いとうせいこうが新しい感覚をフレッシュに小説に持ち込んだのとは対照的に、服部まゆみは吟味し発酵芳醇させた感覚を、時代遅れと断じられても仕方ないと見做しながら、導入したのではないだろうか。 これと時を同じくして、澁澤が悪魔的単行本からポップイコン的文庫本へと姿を変えていた時期に、当たるのではあるまいかと、25年以上あとに推察してしまうのだけれど……。 以上、読みながら調べながら真相やネタバレは避けながら、メモしていたものである。 以下、読了後、思うことを酔いに任せて記す。 正直に言えば「淫靡一歩手前の耽美」という点においては、「この闇と光」(の耽美度)>「シメール」(の身につまされる感じ。アッシェンバッハも中2病もわかる)>「罪深き緑の夏」(の散文的な)。 また双子の兄弟といえば類例は多かろう。 私としてはヴェロニカ・フランツ監督の映画「グッドナイト・マミー」やアゴタ・クリストフの「悪童日記」を連想するが。 そこまで「行き切れない双子もの」と位置付けることもできよう。 耽美もの、倒叙ものとして読み取っていきたい、読者としては「僕」章を持ち上げて格別に置いてみたい、という欲求がむくむくと湧いてくるのではないか。 ミステリ的にいえば「僕」が核心的犯罪を行いつつも自らの記憶にも蓋をした悪魔的人物であってほしい、とか。 悪魔主義的にいえば「僕」があらゆる関係者を意図して手玉に取ったりとか。 あるいはコレクター的にいえば「私」が状況や環境や金や権力を使って「僕」を囲い込もうとする欲望に、駆動されるのかもしれない。 そしてそのそれぞれは、もう片方からの見え方を想像すると、より面白い。 と、楽しみ方、面白がり方、を考えてみた。 読書中に考えたこと、読了後に考えたこと、を盛り込みつつ。 が、ただひとつ苦言を呈する権利を貰えたら。 「**の寝室の壁を**の**でいっぱいにする」、それを**が目撃して驚愕・激昂する、というのは安っぽすぎないかなー、と。 壁を**でいっぱいにする段階で、**の底の浅さや卑小さが見えてくるというか。 もちろんそれは、**が見守る**の中二臭さにも適応されるのだろうけれど。 つまりは火サス的に堕してしまうかもしれない題材を、構成・衒学趣味・文体で美しく浮かび上がらせた、やはり小説的勝利の一作、なのだ。
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長らく入手困難だった『シメール』が文庫化された!! 河出文庫からは『罪深き緑の夏』からは2作目。角川文庫で代表作が復刊された時から、アチコチで『シメール』『シメール』を連発していたので、河出の復刊2作目が『シメール』と知った時は嬉しかった。 破滅美、退廃美を具現化したような小説で...
長らく入手困難だった『シメール』が文庫化された!! 河出文庫からは『罪深き緑の夏』からは2作目。角川文庫で代表作が復刊された時から、アチコチで『シメール』『シメール』を連発していたので、河出の復刊2作目が『シメール』と知った時は嬉しかった。 破滅美、退廃美を具現化したような小説で、この復刊文庫化で、望んでいる人の手に渡るといいなぁと思う。 で、次は当然、『ラ・ロンド』が来るよね???
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