姉・米原万里 の商品レビュー
米原万里さん、改めて惜しい人を亡くしたなと思いました。ご存命であれば、今のウクライナ情勢をどう語っただろうか、『同志少女よ敵を撃て』なんかにもどんな書評を書いただろうか、と思ってしまいます。友里さんの文章も素敵です。
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題名が示す通り、米原万里の妹さんが書かれたもの。 プラハの子供時代から、残念ながら2006年に亡くなられるまでの米原万里のエピソードが満載で、私のような米原万里ファンにとっては、読んでいてとても興味深い本である。 そればかりではなく、米原家というひとつの家族の物語としても読めるも...
題名が示す通り、米原万里の妹さんが書かれたもの。 プラハの子供時代から、残念ながら2006年に亡くなられるまでの米原万里のエピソードが満載で、私のような米原万里ファンにとっては、読んでいてとても興味深い本である。 そればかりではなく、米原家というひとつの家族の物語としても読めるものであり、米原万里をあまり知らなくても、1冊の本としても普通に面白く読めるものだ。 米原万里はとてもユニークな人であったようであるが、本書の作者、妹の井上ユリさんも面白い人だ。北大卒業後、教師を2年やった後、調理師学校に入学し、料理の勉強を始める。その後、イタリアで料理修業し、帰国後、自宅でイタリア料理教室を運営すると同時に料理に関する本も著す。故井上ひさしさんの奥様でもある。 妹ではあるが、本書を読む限りにおいては、お姉さまよりも落ち着きがあり、姉・米原万里を冷静に見て、それを我々米原万里ファンに伝えてくれている。
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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』が大好きだったのに、万里さんの著作で読んだのはその1冊きり。10年以上前に56歳という若さでお亡くなりになっていたことも、妹のユリさんが井上ひさし氏と結婚されていたことも知りませんでした。 万里さんがたぶん自覚はなく相当におもしろい人であったのは...
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』が大好きだったのに、万里さんの著作で読んだのはその1冊きり。10年以上前に56歳という若さでお亡くなりになっていたことも、妹のユリさんが井上ひさし氏と結婚されていたことも知りませんでした。 万里さんがたぶん自覚はなく相当におもしろい人であったのはもちろん、彼女のご両親も強烈。でも愛情に溢れていたことが感じられて、在りし日を想像しながら穏やかな気持ちになれます。汲み取り式の便所に何度も落ちたところは思い浮かべたくありませんけれども(笑)。 料理研究家のユリさんが書いているから、万里さんと食べた料理やお菓子の話がとても美味しそう。私もカツ丼が食べたくなるだろうかと、椎名誠の本をさっそく買いました。 幸せな読書の時間。
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大好きな米原万里のことを,実の妹である井上ユリが書いた本.本人の書いたものからはわからない実像を見ることができる.
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単行本(2016年5月)。 文庫化にあたって、著者による文庫版のためのあとがき、福岡伸一による解説、それに文庫版特別付録の写真(姉妹の思い出+衝撃のウエスト修正写真)がついた。 米原万里の死後、妹の井上ユリ(故・井上ひさしの夫人でもあり)が食べものの話題を核にして思い出をまとめ...
単行本(2016年5月)。 文庫化にあたって、著者による文庫版のためのあとがき、福岡伸一による解説、それに文庫版特別付録の写真(姉妹の思い出+衝撃のウエスト修正写真)がついた。 米原万里の死後、妹の井上ユリ(故・井上ひさしの夫人でもあり)が食べものの話題を核にして思い出をまとめた作品。米原万里の作品の引用も多数。「ユリイカ」米原万里特集に寄稿した文章も。仕事ぶりや著作から想像されるものとはひと味違う、妹(家族)からみた姉・米原万里の姿に親しみを感じずにはいられなかった。米原万里の目を通して描かれたプラハの思い出や家族像が、いろいろな点で対照的な妹の視点を加えることでさらに立体的になって、読み応えがあった。 それにしても福岡ハカセとは馬が合うなぁ…米原万里と須賀敦子どちらも大好きという読み手は少なくはないのだろうけれど。
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ロシア語通訳者、作家として活躍された姉・米原万里さんとの想い出を、妹・井上ユリさんが書かれたもの。 この本も本屋さんで見つけました。 恥ずかしながら、今回も米原万里さんのことはこの本を読むまで知りませんでした。ロシア語通訳者であったことに興味を持ち、読み始めました。 ロシア語...
ロシア語通訳者、作家として活躍された姉・米原万里さんとの想い出を、妹・井上ユリさんが書かれたもの。 この本も本屋さんで見つけました。 恥ずかしながら、今回も米原万里さんのことはこの本を読むまで知りませんでした。ロシア語通訳者であったことに興味を持ち、読み始めました。 ロシア語通訳者や作家としての米原さんについてではなく、姉妹である二人の思い出、特に食べ物に関するエピソードが書かれています。 姉妹は幼い時に家族でプラハに暮らし、そこでソビエト学校に入学、ロシア語を身につけました。米原さんは生活のために通訳をやり、ロシア首脳の同時通訳をして、通訳を仕事とする決意をしたとのことです。非常に個性の強い人であったそうです。 書かれている食べ物は、チェコやロシアの食べ物もあれば、日本の食べ物もあります。それぞれの時期に姉妹が過ごした想い出に関わるものです。 私も外国語を学びました。上手にはなりませんでしたが、外国語を学んだことにより、さらに多くのことを学べたきっかけになりました。自分にとって外国語は原点のひとつといえると思います。
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【しかし、万里は少し臆病な少女だった】プラハのソビエト学校で少女時代を共に過ごした妹が、食べものの記憶を通して綴る姉の思い出。初めて明かされる名エッセイの舞台裏。
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