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ナラティヴと共同性 の商品レビュー

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2023/03/20

【目次】 はじめに I 言葉と現実 第一章 言葉による癒し 第二章 社会的現実が立ち上がるとき 「社会的現実」はいかにして特定できるか/家族療法からの示唆/ある講習の場面で/「社会的現実」の構成 第三章 読みの多様性をめぐって 社会構成主義とナラティヴ・アプローチ/ナラティヴの...

【目次】 はじめに I 言葉と現実 第一章 言葉による癒し 第二章 社会的現実が立ち上がるとき 「社会的現実」はいかにして特定できるか/家族療法からの示唆/ある講習の場面で/「社会的現実」の構成 第三章 読みの多様性をめぐって 社会構成主義とナラティヴ・アプローチ/ナラティヴの社会的機能/「読み」の機能/ナラティヴ・アプローチと文学教育 II 物語と社会 第四章 現代社会へのナラティヴ・アプローチ 社会的現実とナラティヴ/個人化社会のナラティヴ/リスク社会のナラティヴ/当事者性のナラティヴ/現代社会のナラティヴ 第五章 親密性と共同性――「親密性の変容」再考 親密性の変容/ギデンズ以降/「親密圏」の政治/親密性と共同性の日本的特徴/親密性と共同性のゆくえ 第六章 アディクションとナラティヴ はじめに/「言いっぱなし聞きっぱなし」のナラティヴ/「外在化」のナラティヴ/物語の書き換え/おわりに III 対話とネットワーク 第七章 ナラティヴとオープンダイアローグ――アディクションへの示唆 ナラティヴ・アプローチにおける対話/オープンダイアローグの衝撃/ナラティヴ・アプローチとの差異/アディクションへの示唆 第八章 ソーシャルネットワークの復権 オープンダイアローグの魅力/ネットワークミーティング/「個人化」と「専門化」/「問題」をネットワークで背負う 第九章 ナラティヴと感情 感情と臨床/ナラティヴ・メディエーション/オープンダイアローグ/専門家モデルと感情 IV 当事者性と共同性 第一〇章 当事者研究が生み出す自己 はじめに/当事者研究の展開/当事者研究と自己/新しい「再帰的自己」/おわりに 第一一章 自助グループと当事者研究 はじめに/自助グループの特徴/自助グループと当事者研究/おわりに 第一二章 医療コミュニケーションの変容――平等化と民主化をめぐって はじめに/病いの語り/ナラティヴ・アプローチ/当事者研究/オープンダイアローグ/デザイン・モード・倫理 第一三章 ナラティヴと共同性 ガーゲンの論点/再帰化と個人化/共同性の実践/ナラティヴ・アプローチの新たな役割 おわりに 参考文献

Posted byブクログ

2023/02/01

著者がこの本で扱っていた手法たちは、精神医療領域で発展してきたもので、専門家だけじゃなくて患者(当事者)本人も含めたネットワーク(つながり、共同性)ができるやり方。オープンダイアローグ(患者を含め周りの人たちで対話するアプローチ)のとこで、自分だけの世界に閉じ込められた人(統合失...

著者がこの本で扱っていた手法たちは、精神医療領域で発展してきたもので、専門家だけじゃなくて患者(当事者)本人も含めたネットワーク(つながり、共同性)ができるやり方。オープンダイアローグ(患者を含め周りの人たちで対話するアプローチ)のとこで、自分だけの世界に閉じ込められた人(統合失調症を発症したばかりの人)をひとりにしないため、みたいなことが書いてあって、(私はこれといった疾患もなくて特別孤立してるわけではないけど)そういう環境って羨ましいなと思った。 最後のほうに、現代は社会の個人化とリスク社会化で、当事者個人とリスクの判断ができる専門家によるナラティブの政治性が強くなって、それ以外のナラティブの影響力が弱くなってきてるみたいな論があってそこも印象的だった。語るに足る話じゃないと無視されちゃうんじゃないかって(周りから?世間から?自分の中の何かから?)思って言わなかったり、考えるの止めてることもある気がする。

Posted byブクログ

2019/05/09

ナラティブ・アプローチを分かりやすく解説してきた著者の現時点での到達を分かりやすく述べられている。その上でオープン・ダイアログ(OD)が、どのような立ち位置にあるか、そしてナラティブ・アプローチとの相違についてわかり易く解説。加えて当事者研究と自助グループの相違をコミュニケーショ...

ナラティブ・アプローチを分かりやすく解説してきた著者の現時点での到達を分かりやすく述べられている。その上でオープン・ダイアログ(OD)が、どのような立ち位置にあるか、そしてナラティブ・アプローチとの相違についてわかり易く解説。加えて当事者研究と自助グループの相違をコミュニケーションの視点から整理されている。ナラティブ・アプローチの限界と乗り越えについて、ODがいかに「コペルニクス的転回」を起こしたかというと、個人が変わるかどうかより、個人が生きられる場としてのネットワークを作ること、そして「技法より愛への転回」ということである。今までナラティブ・アプローチと社会構成主義との関係を含めて、これまで力が不十分だったところが整理できたし、ODとナラティブ・アプローチとの関係や特徴について今まで理解が不十分であったことが整理できた。

Posted byブクログ

2019/04/20

ホワイトとエプストンの「物語としての家族」(1990)が、ナラティヴセラピーという分野を切り開いて、30年くらい。(もちろん、本になる前にはすでにたくさんの実践があったわけだが。。。) これまで、ナラティヴ・セラピーは、「問題が問題であって、人は問題ではない」というスローガンの...

ホワイトとエプストンの「物語としての家族」(1990)が、ナラティヴセラピーという分野を切り開いて、30年くらい。(もちろん、本になる前にはすでにたくさんの実践があったわけだが。。。) これまで、ナラティヴ・セラピーは、「問題が問題であって、人は問題ではない」というスローガンのもと、「外在化」と「治療的文書」をはじめとして、さまざまな革新的な手法を生み出し、ホワイトの「ナラティヴ実践地図」(2007)で一通りの完成をみたあとも、いろいろな分野への応用が進んできた。 日本では、まさにこれからナラティブ・セラピーの実践が本格化しようとしているタイミングででてきたのが、野口さんのこの本。 野口さんの「物語としてのケア」(2002)は、難解な本が多いナラティヴ・セラピーをわかりやすく、かつ広い視野のなかで位置付けてくれる本で、ホワイトの本で疲れた頭をすっきりさせてくれた。 そして、この本は、ナラティヴセラピーと社会構成主義的な考えを共有しながらも、違う展開をみせているオープン・ダイアログなどを紹介しつつ、ナラティブ・セラピーやリフレクティング・チームなどとの共通性と違いをとてもわかりやすく整理してくれている。 オープン・ダイアログというのがでてきたところでわかったナラティブ・セラピーの限界のようなもの。批判の対象となっているはずのモダーンな個人主義的な考えの残滓とか、感情の扱いなどなど。 なるほどね〜。その辺は、わたしもナラティブ・セラピーの本を読むときに気になっていたのだけど、思想的な一貫性はさておき、結局のところ、「セラピー」なので、最終的には「個人」にもどるというか、「個人がより生きやすい形で社会で生きること」が目的になるわけで、やはり「苦しんでいる」人が救われなくっちゃ意味ないしね〜、と思っていたところ。 ナラティヴ・セラピーの限界をオープン・ダイアログが本当に超えているのかどうかは、そっちはまだあまり読んでないのでなんとも言えないが、ナラティヴ・セラピーが「解放の物語」で、オープン・ダイアログは「共同の物語」という整理はすっきり。 個人的には、「解放の物語」のほうにより関心があるかな〜。(日本は、よくもわるくも「共同の物語」はすでにたくさん語られている気がするので)

Posted byブクログ