血みどろ臓物ハイスクール の商品レビュー
好きでも嫌いでも最高でも最低でもない……というかなんというか。 ジェイニーのことは相容れない部分が多いし分からないんだけど、分かる……。 急な坂道を駆け下りだしたら止まらないように、結構早いペースで読んでしまった。 日本語の翻訳が『そのもの』、何と言えばいいのか、最初からこの...
好きでも嫌いでも最高でも最低でもない……というかなんというか。 ジェイニーのことは相容れない部分が多いし分からないんだけど、分かる……。 急な坂道を駆け下りだしたら止まらないように、結構早いペースで読んでしまった。 日本語の翻訳が『そのもの』、何と言えばいいのか、最初からこの血みどろ臓物ハイスクールを書いたという気がした。この感じ、前にも読んだことあるな、と思っていたら、『フィルス』の翻訳者と同じ方だった!渡辺佐智江さん。すごい。 原書はどんな風なんだろう、とても気になる。 ☆3から4の間って感じある。
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物凄いものを読んでしまったなと思いました。パンク…アナーキー…あまり馴染みがない思想なので合ってるのか分からない。人前で読むには挿絵がちょっと心配。 カーター大統領との関係は良好なのかが気になりました。ホーソーンの「緋文字」もこういうお話だったのか。。? よく考えると、最初の時点でジェニーはまだ10歳なのですね。おマセなお嬢さんだ。 訳者あとがきも面白かったです。確かに、著者に会うの身構えるなぁこれでは。
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最初から相当ぶっ飛んでる。普通に小説読むモードで読み始めたんだけど波長が段々合わなくなって、アこれは理解しようとしちゃダメだ感じるんだと思って途中で頭切り替えた。小説というよりほとんど詩。文体としては、小説、詩、イラスト、日記とか寓話(かどうかも分からん)とかが入り乱れてるんだけど、全部引っくるめてまるごと詩、だと思って読了した(私にとって詩は感じるものなので)。というより「クマは象でした」辺りで理解するのは諦めた、粋じゃないなとも思ったし。不幸に憎悪と絶望と渇望をどろどろにまぶした救えないストーリーだけど、ぶっ飛んでるのがそのまま着地せずに羽ばたいて最後には見えなくなってしまったので、読後感は意外に爽快。 読んでいて一番感じたのは憎悪。世界と自分に対する憎悪。そして嫌悪、絶望、孤独、渇望、暴力、欲望、、、それらがぐちゃぐちゃに掻き混ぜられてなす術もなく腐っていく中、鮮血にまみれた「愛されたい」という痛切で幼い願いがことさら鋭く光る。中盤まではそんな印象。終盤、ジェイニーがジュネと出会ってからは、段々と女性蔑視や物質主義、資本主義社会への激しい批判が内包されるようになる。けれど、同じく弱く惨めなはずの反逆者たちにさえ罵られ街を追い出されるジェイニーとジュネは、血みどろの臓物のような不幸の中をただ転がり落ち(多分)14歳で死んでいったジェイニーは、一体何者だったのか?物質主義、資本主義の反逆者の下位にジェイニーを置いたのは、あらゆる思想から離れたニュートラルな存在、かつあらゆる者の底辺であり受容体(つまり愛する者ということ?)でいさせたかったからかなとも思うけど、分かんない。考えない方がいいかも。でもジェイニーの言葉にはただならぬ愛を感じたんだけどなあ。「あたしを追っ払ったあいつらに、平穏無事でいられるチャンスを、モンスターの地をそこへ行かずして知るチャンスを与えることなんだわ。」イラストの意味は本当に分からないし、もっと言うとタイトルのハイスクールも意味分からん。全然学校行ってないやんけ。 ドイツで一時期発禁になっていたり、そりゃあ紆余曲折あったでしょうよ、という過激で下品な内容だが嫌悪は微塵も感じない。むしろ声なき者たちへの愛情さえ感じる。ジェイニーはあらゆる弱い立場の者たちの代名詞であって、声さえも上げられない惨めな者たちが現実に存在するということ、私がクーラーの効いた快適な部屋の中でこれを読む間にも、10歳の少女が父親と近親相姦関係にあるかもしれない、今まさに親に捨てられる子供がいるかもしれない、独りぼっちで違法な堕胎手術を受ける少女がいるかもしれない、売春婦として調教されているかも、奴隷にされているかも、ガンに罹って死んでしまうかも、それでも愛されたいと願う子が存在するかもしれないと、想像させるその価値はいかほどか。そういう意図も込められた作品だと確信できる脈動が確かにある。こんだけぶっ飛んでるのに読者に"感じさせる"その手腕、本当に見事だと思います。 作者をググってみたらすごいカッコよくてファンキーな女性が出てきてびっくりした。略歴も濃かった。こういう人が自分の言葉や思想、人生の欠片を削って創り上げる小説を、評価・議論する土台のあるアメリカ社会。デカイなあ。他の作品も読んでみよ。
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こんな表現の仕方があることに感激。 読んでいるうちになんだか落ち着かなくなって解説を見たくなったけど、解説なんていらないとも同時に思っていた。 登場人物の汚い言葉遣いが不思議と嫌いじゃない。 ジェイニー支離滅裂なんだけど自分も現実から目を背けたい時に支離滅裂なこと考えるなと思...
こんな表現の仕方があることに感激。 読んでいるうちになんだか落ち着かなくなって解説を見たくなったけど、解説なんていらないとも同時に思っていた。 登場人物の汚い言葉遣いが不思議と嫌いじゃない。 ジェイニー支離滅裂なんだけど自分も現実から目を背けたい時に支離滅裂なこと考えるなと思った。 私が思う一般的な人は、教育、親、社会などを重ね着しているけど、ジェイニーは臓物まで丸見えだ。 もう普通が何かとか考えるのも馬鹿らしいかも、私達は生きてるだけで血みどろだ。
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1歳で母を失ったジェイニー・スミスは メキシコのメリダで父ジョニーと暮らしていたが、 10歳の時点で既に近親相姦関係にあった。 ところが、父に新しいガールフレンドが出来、 厄介払いされそうになって嫉妬・狂乱。 ニューヨークで不良グループと付き合い、 乱倫・暴力・飲酒・薬物三昧から...
1歳で母を失ったジェイニー・スミスは メキシコのメリダで父ジョニーと暮らしていたが、 10歳の時点で既に近親相姦関係にあった。 ところが、父に新しいガールフレンドが出来、 厄介払いされそうになって嫉妬・狂乱。 ニューヨークで不良グループと付き合い、 乱倫・暴力・飲酒・薬物三昧からの中絶まで体験。 売春業者リンカーに売り飛ばされ、監禁されている間に、 自らの人生について、あるいは、ホーソーン『緋文字』の感想、 ペルシャ語の独学の記録、散文詩――他を綴った。 その後、癌を発症してリンカーに見捨てられたジェイニー14歳は 自由の身になって旅に出たが……。 1970年代後半に執筆され、 1980年代に日の目を見たという「時代の徒花」的散文詩小説。 恋愛及び性の相対化。 父と娘の近親相姦関係を描き、 俗に「純愛」と称され賛美される概念をコケにする態度は 倉橋由美子の初期作品に似た趣きでもあり、 訴えたいことはよくわかるのだが、 個人的に好みではない表現技法だったので読後の満足度は低い。 前半は一応、小説の体(てい)を成しているので ニヤニヤしながら楽しんでいたのだけれども……。 まあ、「魂にはその意のままに彷徨う自由がある」(p.282)のだし、 作者が内面の混乱や社会に対する疑問を、 この表現形態で発表したのも当人の自由だし、 手に取って読むも読まぬも、どんな感想を抱こうとも 我々の自由なのだよな、と思った。
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文庫の帯は岸本佐知子先生「ワイルドで奥深くて崇高な、世にも美しい言葉のテロ。姐さん、一生ついていきます。」 単行本訳者あとがきに、ナックルダスターで武装して会いに行ったという挿話。 文庫版訳者あとがきの、バイク用ヘルメットを脇に、階段を駆け下りてきたアッカーの姿が目に浮かぶ、という結び。 それらに惹かれ、抵抗感を抱きながらも、つい購入。 というのも、生活がそのまま詩を吐くような破滅的天才の創作を、やや忌避しているからだ。 うまく浮かばないが、中島らも「今夜すべてのバーで」に登場する天童寺不二雄が物を書いたとして、あまりに自分とかけ離れすぎているだろうから。 しかしそんなことなく、キャシー・アッカーは大変知的に文芸作品をブッ込んでいる。 また著者の写真を見ると、どうも「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」のフュリオサを思い出してしまうが、 フュリオサそのものでは、もちろん、ない。 フュリオサは「強姦を撥ねつける」側だが、キャシーは「強姦する」側と見做せようか。 しかしその「強姦する」は限りなく「強姦される」に近いともいえる。 ウィキペディアで「セックス・ポジティヴ・フェミニズム」という概念を初めて知る。 確かに自分の躰を自分で使って何が悪い。 フェミニストは性忌避者という自分の思い込みは、すでに前時代のマチズモにどっぷり浸されていたのだ。 伊藤野枝やアギレラやマドンナやジャネット・ジャクソンの名を見て、さらに納得。 脱線するが大杉栄と伊藤野枝の子供の名前……魔子、エマ、エマ(え、同じ!?)、ルイズ、ネストルなど……笑ってしまった。 森鷗外と通じる。やはり前から気になっていた「村に火をつけ、白痴になれ」を読もう。 閑話休題。 ストーリーはあるようなないような。 ファック関係にある父から疎まれ、不良とつるみ中絶を繰り返し、売春業者に売られても業者のペルシャ人に恋し、脱出した先でなんとジャン・ジュネと会い同質の者同士分かり合えるかと思えばやはり捨てられ、死に。 筋だけ見ると下降線を描いている(のでフェミニストには受けが悪いとか)が、むしろ語りのテンションは上昇するばかりだ。 地の文。イラスト。戯曲風会話。童話のパロディ。有名作品の読書感想文。異国語で作詩。コピペ。有名人を導入。などなどなど手法の饗宴ゆえに。 しかし内面は孤独で愛を求める。「愛してよ」と罵詈雑言で言い換え続けるような。 とはいえ発せられる言葉は終始えげつない。この乖離の面白さと切なさよ。 連想するが、たとえば桜庭一樹「私の男」で「新鮮な肉だとよ、お嬢さんたち。あたしゃもっと若いけど、こちとらタフで堕落した腐れビーフ。わがオマンコは赤しオエッ」てなことを言う娘を、父は愛しぬけるか?いやー無理でしょう。 引用したい言葉多数。 ネット上で拾い集めた作者本人の挿話……山形浩生の「アホだら帝国」あとがき、や、エッセイ「病がくれたもの」とか……も興味ぶかい。 ある時代のある種の作家と片づけることもできなくもないが、読後、私の中に確かに根付いた。これから育つかもしれない。
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ド直球で書かれてるのに、読んでもぜんぜんわからなかった。そういうはちゃめちゃでパンクなところが良いんだよ、とかではなく、本当にわからなかった。 主人公の悲劇的な人生が書かれているんだけど、悲しい印象も受けなかった。なんだったんだろう。
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血と体液とで体がべたべたになるような感覚。捨て鉢で衝動的で誰かと交わらずにはいられない主人公の本当は愛されたいだけなのにという心の叫びが苦しい。
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パンク作家キャシー・アッカーの出世作が河出文庫から復刊。 散文のみならず詩、戯曲、果てはイラストや図形まで駆使した『小説』は、今も昔も強烈なインパクトを残す(ある種のイロモノであることは否定しないが)。 巻末の訳者あとがきによると、様々なレッテルが貼られたらしいが、『女バロウズ』...
パンク作家キャシー・アッカーの出世作が河出文庫から復刊。 散文のみならず詩、戯曲、果てはイラストや図形まで駆使した『小説』は、今も昔も強烈なインパクトを残す(ある種のイロモノであることは否定しないが)。 巻末の訳者あとがきによると、様々なレッテルが貼られたらしいが、『女バロウズ』というのはどうだろうなぁ……バロウズとは、セックスや暴力といったモチーフの共通点はあれど、ぜんぜん違うんじゃない? カテゴライズするなら『パンク』というのが一番合っていると思う。でも、同時に、これってシュールレアリスムに近いような……? 挿入されたイラストが、モロに局部を描いていてもまるでエロティックさを感じないのに、妙に味があって何時までも眺めていたくなるのもなかなか楽しい(※しかし電車の中では無理)。
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