水木しげる 増補新版 の商品レビュー
2015.12記。水木しげるの訃報に接したときのメモ。 --------- 「水木しげる氏について」(長いです) 文筆家の呉智英氏の考察にあるとおり、水木氏はすぐれた民俗学者であった。彼は「暗闇をこわいと思うのは妖怪の原始的体験だ」と述べている。妖怪、というものについての極め...
2015.12記。水木しげるの訃報に接したときのメモ。 --------- 「水木しげる氏について」(長いです) 文筆家の呉智英氏の考察にあるとおり、水木氏はすぐれた民俗学者であった。彼は「暗闇をこわいと思うのは妖怪の原始的体験だ」と述べている。妖怪、というものについての極めて簡潔な説明だと思う。 思い出すのは、子供の頃読んだ「妖怪大百科」的な本の中にあった「水木氏によって姿を初めて与えられた妖怪も多い」という一節。 「妖怪に姿を与える」・・・当時(小学生?)の私には意味がよくわからなかった。だが、思えば民間の伝承は多くが口伝えだ。「夜、山道を歩いていると後ろからペタペタとついてくる足音がする。だが、『べとべとさん、先へお越し』と声をかけると急に聞こえなくなる」。 こんな話を昔のこどもはきっと囲炉裏端で年寄りから聞かされていたんだろう。そしてそれぞれが頭にその姿を思い描いたはずだ。水木氏は、そうした伝承からいわば初めて「『べとべとさん』の想像図」を描いた。 脱線するが、「足のない幽霊」を初めて描いたのは江戸期の丸山応挙だと言われている。一説には急いで描き忘れたからとも言う。西欧では幽霊は「古城で足音を響かせる」ものだ。足のない幽霊は想像されなかったし、そしてその造形は西欧人に深い印象を与えた。石造りの建物と日本の家屋との、霊的な現象に与える影響の違いを感じさせる(というのは私の勝手な説)。もちろん、人間の精神そのものの一形態である幽霊と、自然現象の擬人化である妖怪とは隣接しつつも区別されねばならない(というのも私の勝手な説)。 話を戻す。水木氏の妖怪のもつ本質的な意味での「気配」は、アニメキャラクター化された図柄よりは、あの「ガロ」っぽい細密極まる背景と塗りつぶし主体の描画でこそ本来の威力を発揮する。私は絵の心得は皆無だが、アニメ用の図柄と水木氏原画との最大の差異は「背景に溶け込む輪郭」にあるのではないかと思っている。そしてその源流は、恐らく戦争に駆り出され彼自身が深夜にさまよった南方のジャングルとそこにひそむ妖気であったろう。 再び話を変える。沖縄・石垣の離島、竹富島には御嶽(ウタキ)と呼ばれる神聖な場所(森のちょっと奥まったところにある祈りの場)がいくつかある。以前旅行にいったとき早朝に一人でそこに入ってみたことがあった。車道からほんの数十メートルのはずなのにホウホウと南国の鳥の声がこだまし、真夏なのにひんやりとした冷気が流れていた。夜はきっとキジムナーのささやきあう声がざわざわと響くのだろう。 背の低い赤い子鬼、とされているキジムナー、水木氏の描写の下では木に宿る南国の小動物を思わせる精霊だ(「もののけ姫」はこれにインスパイアされていると私は睨んでいる)。 水木氏の訃報は、BBCやWSJなど各国のメディアによりグローバルに報道された。PRIは最晩年のインタビュー動画を配信。「妖怪は電気が苦手」と、まるで動物学者が絶滅危惧種を憂うような口調で妖怪について語っている。 「現代科学では説明できない不思議がある」という名のもとに単なる無知に基づく疑似スピリチュアルが跋扈する現代だが、彼はシンプルに「闇とそれが人間にもたらすもの(見えないものを観る感受性)」について語っていたのではないか。
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