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2021/06/03

『本を読む楽しさの中にはいつも、よくわからない事柄を抱える感触が含まれているはずだ』―『あとがき』 蜂飼耳の硬質な言葉の響き。その音の余韻が紡ぎ出す何かが深い処へ導いていく。その先にあると思われる意味を掴み取り損ねる。その途方に暮れた状態を楽しむ。 どこまでも蜂飼耳は詩人であ...

『本を読む楽しさの中にはいつも、よくわからない事柄を抱える感触が含まれているはずだ』―『あとがき』 蜂飼耳の硬質な言葉の響き。その音の余韻が紡ぎ出す何かが深い処へ導いていく。その先にあると思われる意味を掴み取り損ねる。その途方に暮れた状態を楽しむ。 どこまでも蜂飼耳は詩人であって、言葉は単純に響かない。不協和音のように割り切れない周波数の余りが、一つ一つの言葉が頭の中の収まるべき箱に、滑らかに受容されることを阻むよう。 そのことが不快であるかと問われれば、すぐさま否と答えるのではあるけれど、掴みあぐねた言葉たちが頭の中に取り散らかるのを良しとする訳ではない。ゆっくりと言葉の余りを噛み砕き、取り込んでゆく。その過程こそ蜂飼耳を読む愉しみであると改めて自覚する。 例えば、既読の本の書評を読み、詩人の見た世界との違いを比べてみるが、そこに大きく異なるものは無いように思いつつ、この人の言葉の殻を削ぐようにして吟味する態度に悄然とした思いにもなる。厳しさ、と一言で言い表すのは単純に過ぎる。何か、言葉が詩人を放って置かない様子がそこにはある。そのことは詩人の名が既に暗示している。言葉という蜂の立てる羽音が耳の中で常に鳴り響くかのように、言葉が詩人を駆り立てているのだ。 前にも一度書いたように、蜂飼耳の書いた文章を読むということは、あくまで蜂飼耳を読むということに帰結する。それが詩集であろうと随筆であろうと小説であろうと、そして書評であろうと。

Posted byブクログ