陸奥宗光 の商品レビュー
幕末から明治のひとりの政治家の生き方として、様々な発見があった。陸奥宗光の外務大臣としての功績は日本史の授業参観で学んだが、彼の人生の半分も知らなかったということを痛感した。彼は役人ではなく生来政治家だったのだろう。 紀州に生まれ、幕府と明治政府それぞれに接点があり、坂本龍馬と...
幕末から明治のひとりの政治家の生き方として、様々な発見があった。陸奥宗光の外務大臣としての功績は日本史の授業参観で学んだが、彼の人生の半分も知らなかったということを痛感した。彼は役人ではなく生来政治家だったのだろう。 紀州に生まれ、幕府と明治政府それぞれに接点があり、坂本龍馬とも接し、西南戦争でも西郷側とも通じて後に投獄される。政界に進出した後も自由党との距離の持ち方も巧みさと、思うように行かない部分が垣間見える。自らが思う道に進むために一方にベットしない姿勢は外務大臣のあるべき姿にも通じたのかもしれない。 歴史をつくるのは人間。日本史の副読本にしてもよいのではと感じた。
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はじめに 第1章 幕末―紀州出身の志士 第2章 維新官僚―能吏の自負と焦燥 第3章 獄中生活とヨーロッパ遊学 第4章 議会開設前後―再び政府のなかで 第5章 条約改正 第6章 日清戦争 第7章 日清戦後の内外政―知られざるもう一つの活動期 終章 近代日本と陸奥宗光―陸奥をめぐる人...
はじめに 第1章 幕末―紀州出身の志士 第2章 維新官僚―能吏の自負と焦燥 第3章 獄中生活とヨーロッパ遊学 第4章 議会開設前後―再び政府のなかで 第5章 条約改正 第6章 日清戦争 第7章 日清戦後の内外政―知られざるもう一つの活動期 終章 近代日本と陸奥宗光―陸奥をめぐる人々 おわりに 文献案内 年譜
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「抑も政治なる者は術(アート)なり学(サイエンス)にあらず。故に政治を行うの人に巧拙(スキール)の別あり。巧みに政治を行い人心を収攬するは、即ち実学実才ありて広く世務に練熟する人に存し、決して白面書生机上の談の比にあらざるべし。亦た立憲政治は専制政治の如く簡易なる能わず。故に、其政治家に必要する所の巧且塾なる者も、一層の度を増加すべし」 「アート」、「サイエンス」、「スキール」はいずれも、陸奥自身が記したフリガナである。この後も陸奥は繰り返し、超然主義であるとか、政党外に立つといったことについて、そのような考えなのはよいがそれで実際に国会が開かれたときにいかにして対応するのか、と問うた。理念や理想ではなく現実を考えるように、という陸奥の持論である。(p.130) 陸奥の手腕が重要な意味を持ったのは、国内対応の面である。繰り返し述べているように、条約改正事業がなんども頓挫してきた原因は、列国の側よりも日本国内にあった。(中略)陸奥の議論は、良く言えば巧みな合意形成術、悪く言えば、まやかしか詭弁であった。そうした陸奥立論と、有力政治指導者との緊密な連携は、政府方針を統一するのに大いに寄与した。 (中略)大国を相手に策を駆使して条約改正にこぎつけた、というのが一般的な「陸奥外交」のイメージだとしたら、残念ながら、そのような事実はない。陸奥の寄与は、もっと地味である。しかしそれは、誰が外交を担当しても結果は同じだった、ということを意味しない。イギリスとの新条約締結まで内閣が内紛を生じさせることなく持ちこたえたというのが、直接的には条約改正の最大の要因であり、そこに置いて、陸奥の働きはまぎれもなく、必要不可欠であった。(pp.195-196) 本書末尾で触れる通り、即断即決、快刀乱麻ではなく、研究と準備こそが陸奥の真骨頂であるというのは、息子の広吉も述べている。そして条約改正は、外務次官として陸奥を支えた林薫の右の言にあるように、まさにそうした陸奥の特性が功を奏した取り組みであった。(p.197)
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条約改正や日清戦争を導いた外交指導者、陸奥宗光。坂本龍馬との活動、投獄からの再起、内政への情熱、その外交手腕――実像に迫る。
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陸奥宗光についての評伝 海援隊で坂本龍馬と時を共にし、日本の外交の祖と謳われる傑物 合意形成に至るまでの事前準備の大切さ 評伝よりも物語を個人的には欲していた
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