第六天の魔王なり の商品レビュー
信長の内面に焦点を当てた小説。天下を夢見る信長は情に厚く優しい性格だったが弟と思っていた浅井長政に裏切られる。それからは心を鬼にして第六天魔王を名乗り情けを殺し非情な信長へと変貌する。
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織田信長の小説は数あるが、これは信長の心境を切り口とした小説。 うつけと呼ばれていたとき、人懐っこくもあり思いやりも豊かだった織田信長は、世の中の土台であろうとし、他人への情、人であれこても捨て去ろうとした。 織田信長の心情の全てを察して、明智光秀は、お救いいたします、と優しねな...
織田信長の小説は数あるが、これは信長の心境を切り口とした小説。 うつけと呼ばれていたとき、人懐っこくもあり思いやりも豊かだった織田信長は、世の中の土台であろうとし、他人への情、人であれこても捨て去ろうとした。 織田信長の心情の全てを察して、明智光秀は、お救いいたします、と優しねな声で、織田信長を討ち果たし、信長もまた、これで人間に戻れると微笑みながら死んでいく。 新しい解釈、非常に面白い。
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ここで描かれる織田信長は情に厚く優しい、世間のイメージとは少し離れた人物。その信長が浅井長政の裏切りをキッカケに鬼へと変わっていく姿を描く。 ポイントは明智光秀との関係だろう。何事も合理的に物事を捉える知将の光秀を信長は気に入り、光秀もまた信長の心の底にある情に惚れ忠臣として仕える。信長が心を鬼にしていく中で、光秀はその変化を憐れみ、心から本当の姿に戻るよう願い、諭す。一方で、信長は天下のために自ら選んで殺した心をグサリと直球で刺す光秀に苛立ちを覚える。光秀の信長への愛情が却って信長を傷つけるという実に皮肉的で悲劇的な関係。その結果が本能寺の変に繋がるという流れも納得できる部分が多い。
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ざっくり言えば、織田信長がなぜ第六天魔王と呼ばれるに至ったかの解釈バリエーションのひとつと言える作品で、優しく民を思う若き信長が人の心を捨てる過程と、明智光秀が本能寺の乱に至る過程はうまく構成されていると感じるものの、やはりそこにある微妙なこじつけ感、解釈のインパクトの物足りなさ...
ざっくり言えば、織田信長がなぜ第六天魔王と呼ばれるに至ったかの解釈バリエーションのひとつと言える作品で、優しく民を思う若き信長が人の心を捨てる過程と、明智光秀が本能寺の乱に至る過程はうまく構成されていると感じるものの、やはりそこにある微妙なこじつけ感、解釈のインパクトの物足りなさが、物語を最後まで牽引するにはちょっとパワー不足だったように思う。
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日本史上、最も怖れられた男は生まれながらの魔王か、それとも――。直臣すら辿り着けなかった男の内面がいま、暴かれる!
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尾張弁が良いスパイスだった。 信長の心理を丁寧に描いていく。彼の信じる、皆が幸せで笑顔で過ごせる世の為に、彼自身は情を殺していく。哀しくも、苦しい過程であり、それを、光秀が無理やり救いに来る。 組織の人間として、上に立つ者は時に非情にならなくてはならない時もあるだろう。自らの功を胸に、安寧としていたい時もあるだろう。時に、休みたくなる時もあるだろう。 歴史小説を読むと、様々なことに思いを馳せる。
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大好きな吉川先生がいよいよ織田信長を描いた。今川義元の「海道の修羅」では優しい少年の信長。朝倉義景の「奪うは我なり 朝倉義景」では非情の信長。そんな二作品に出てきた信長の正体がついにわかる。民を慈しむ、慈悲の信長。逆らうものはすべて撫で斬りにする魔王の信長。本当は優しくて人を笑わ...
大好きな吉川先生がいよいよ織田信長を描いた。今川義元の「海道の修羅」では優しい少年の信長。朝倉義景の「奪うは我なり 朝倉義景」では非情の信長。そんな二作品に出てきた信長の正体がついにわかる。民を慈しむ、慈悲の信長。逆らうものはすべて撫で斬りにする魔王の信長。本当は優しくて人を笑わせるのが大好きな信長が天下人たるには、日の本を平穏に導くには非情で敵を撫で斬りにしていかなければならない。この対比する信長は今までにない内容になっている。比叡山延暦寺焼き討ちの信長には恐怖を覚える反面、百姓の子供に優しく頭を撫でる信長を見ると信長の苦しみを見ることが出来た。そんな信長の苦しみに気付いた明智光秀。クライマックスの本能寺の変には感動した。
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