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神と仏の明治維新 の商品レビュー

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2021/02/23

日本は仏教が伝来してしばらく経つと日本の神と一体化していく。いわゆる神仏習合だ。8世紀から19世紀までの間、神社に神宮寺が建てられ、寺に仏教を守る神社が建てられる。それが、明治維新の時に神仏分離が行われた。 その状況は現在も続いている。しかし、1000年もの間神仏習合が続いていた...

日本は仏教が伝来してしばらく経つと日本の神と一体化していく。いわゆる神仏習合だ。8世紀から19世紀までの間、神社に神宮寺が建てられ、寺に仏教を守る神社が建てられる。それが、明治維新の時に神仏分離が行われた。 その状況は現在も続いている。しかし、1000年もの間神仏習合が続いていたのだから、日本の文化にはあっているのではと思う。

Posted byブクログ

2019/05/31

廃仏毀釈関連の発刊が続き、いくつか読みましが、これは神社サイドでは何が起こったのかという視点が加えられていて非常に刺激的です。国家神道の観点から、無理くり作られた神社があったり、祭神も恣意的にすり替えられているのが解説されています。日本の宗教は、本来、神仏習合です。神社ブームがお...

廃仏毀釈関連の発刊が続き、いくつか読みましが、これは神社サイドでは何が起こったのかという視点が加えられていて非常に刺激的です。国家神道の観点から、無理くり作られた神社があったり、祭神も恣意的にすり替えられているのが解説されています。日本の宗教は、本来、神仏習合です。神社ブームがおかしな方向に行かないうちに、ありのままの宗教史を知りたくなりました。

Posted byブクログ

2019/04/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

・古川順弘「神と仏の明治維新」(洋泉社新書)の「はじめに」には副題として「宗教革命としての明治維新」とある。明治の宗教革命と言つたら廃仏毀釈であらう。そこには「明治維新と同時に行われた日本史上の一大宗教改革、『神仏分離』だ。」(3頁)とある。廃仏毀釈は正しくないらしい。何となく革命のイメージとしては廃仏毀釈の方がふさはしいと思ふのだが、これは正しくないらしい。「慶応四年四月にはじまる神仏分離とそれに雷同して生じた廃仏毀釈」(6頁)とある。廃仏毀釈は神仏分離に雷同したのである。私の場合、神仏分離といふと廃仏毀釈と離れ難いと思ふ。それは羽田野敬雄ゆゑである。羽田野は平田篤胤の養子たる平田鉄胤の同輩で同志であらう。幕末平田派の東三河に於ける中心人物であつた。この人が激越な廃仏毀釈を行つたかどうかは知らない。しかし、その立場からして、羽田野が東三河の神仏分離、廃仏毀釈を指導したであらうことは想像に難くない。と書いて本書を見ると、第三章「廃仏毀釈と古寺名刹の危機」の最後にいくつかの藩の実態が記されてゐる。そこに三河吉田はない。強行した薩摩や失敗した富山等はある。これは極端な例として挙げられてゐる藩であるから、ここに漏れたとて何も悪くない。むしろ三河吉田は、他に比べれば穏やかであつたといふことであらう。三河吉田が廃仏毀釈を必要とするほどの社会情勢ではなかつたといふことであるらしい。それでもほとんどの神宮寺は廃され、修験の寺院も廃されたらしい。比較的穏やかであつた廃仏毀釈でもかうである。薩摩藩では「藩内の寺院・僧侶がともにゼロになった薩摩の廃仏」(120頁)とあるやうに、一時は本当に寺院がなくなり、僧侶がゐなくなつたのであつた。かうなると見事な革命である。三河吉田などはその点、不十分の謗りを免れないであらうが……。 ・実は本書にはこのやうなことはほんの少し出てくるだけである。基本はいくつかの大きな寺社の神仏分離の実態である。神社では日吉大社、大神神社等々、寺社では興福寺、内山永久寺、談山神社等々である。神社は廃されてゐないのですべて現存であるが、寺院はかなり廃されてゐる。内山永久寺はその代表である。これには「跡形もなく消え去った巨大密教寺院」(92頁)との章題がつく。いや、章題などといふ大きなものではない。その章の中の1項目といふ程度であらうか。大体が新書版見開き2頁の倍、つまり4頁程度の分量である。だから事実と思しきことが記されてゐるだけ、それ以外は記されない。かういふ執筆態度は、余分な変なことを書くよりは好ましいのだが、それが読んでゐておもしろくないと感じさせる。例へば寺院から仏像は仏具がどこに流れたか、これは重要な問題である。それが書かれてゐないところの方が多い。分からないからかもしれない。それならそれで書きやうがあると思ふ。例へば内山永久寺、ここは廃寺となつた。仏は不要になつた。「明治五年に文部省の社寺宝物調査が入った頃には(中略)堂塔・坊舎はかなり破却・処分されていたものと思われる。」(94頁)これにエピソードが一つである。これなどエピソードつきだからまだ良い方である。ほとんど一言ですませて良いのかと思ふ。「明治政府は、仏教色の濃い修験道を強引に神道化しようとしたのだが云々」(141頁)の類だが、今少し何かあつても良ささうに思ふ。しかし、本書には神仏分離の実態をきちんと書いてある。しかも「余計な論評はなるべく控えて」(5頁)ともある。つまり私の感じたのはまちがつてはゐないのであつた。問題はそれを良しとするか否かである。私は好ましく思はなかつたが……。

Posted byブクログ