機械カニバリズム の商品レビュー
アクターネットワーク理論……人間だけでなく、人工物や自然物も「アクター」とみなし、それらが絶えず変化するネットワークを生み出すという考え方 既読スルーという行為はLINEと人々が結びつくことで生みだされた「LINE人間」という第三のエージェントにおいて、はじめて実行可能な行為と...
アクターネットワーク理論……人間だけでなく、人工物や自然物も「アクター」とみなし、それらが絶えず変化するネットワークを生み出すという考え方 既読スルーという行為はLINEと人々が結びつくことで生みだされた「LINE人間」という第三のエージェントにおいて、はじめて実行可能な行為となったのである。 機械を道具として使う人間のあり方自体が機械から大きな影響を受けて形成されることを考えれば、機械と人間を道具とその使用者としてシンプルに対置することは難しくなる。 "第3のエージェント" 個人の内面は、もはや文学や日記や精神分析によって私秘 的に探求されるものではなくなり、SNSを通じて常に開示され編集され、共有(「シェア」)される ものへとなりつつある。逸脱的な個人への社会的排除もまた、しばしば既存の道徳規範や法律に基づいてなされるよりも前に、「炎上」と呼ばれる情報と情動の大規模なシェアを通じた排除の構成によって遂行される。 現実/虚構という区別を無理やり押しつけることによって、「彼らは精霊など実在すると信じているのか!」と驚くことができる。p27 機械は制御できない 機械は、表面的には単体で作動するが、背後では、動力や目的や形態を機械に与える人間と常に結びついているという二重性をもつ。 情報処理機械という他者の視点から自己を捉え、機械が処理するデジタルな数列と自らの生を結びつけることで、機械の能力を自らの心身に摂取していく、機械のカニバリズムが現れているのである。 世界を認識し解釈する権能、すなわち「文化」 異なる仕方で認識される「同じ世界」が自明の前提とされ、どこまでが「同じ世界」でどこからが「異なる認識」なのかの境界線自体を設定する権能が、暗黙のうちに人類学者を含む近代人に与えられている。 自分にとっては美味しい思い出のつまったお気に入りの店であっても三点台を切る低い評価が下されていれば、自分の評価が疑わしくもなるだろう。四点台に近い高い評価の店であっても、口コミで展開されるどうにも気にくわない物語を読めば自分には合わない店だと思うかもしれない。 数値的思考は物語的思考を相対化し、物語的思考は数値的思考を相対化する。 どこまでが一つのソフト、一人の人間なのか。 行為においてどこまでの要素を考慮すべきかが理性的に判断されるまえに、私たちは情動と感情によって多くの要素を排除している。 p136 私とは、「『私』という語を含む発話の全体を発している人」を意味する。 「私」なしには「あなた」は存在しない。 0.5人称……つぶやき 他者の視点から自らを捉え、自らを他者としてつくりあげていく営為である。 技術決定論 社会的構成論 ソマティック・マーカー クリプキ
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機械と人間の新しい関係へ。道具説でも自律説でもなく、主体と客体の区別をなくして、機械も人間も変容していく。将棋ソフトやSNSを題材にしているのでわかりやすく、なるほどと思ったが、従来の感覚を変えていくのはなかなか難しいとも感じる。文章はやたら難解。国語の論説文問題を思い出した。
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人工知能が社会に侵食していく過程のなかで我々の思考はどう変容していくのか。著者の優れた洞察がいくつも出てくる。
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