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古墳は語る古代出雲誕生 の商品レビュー

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2020/10/27

古代出雲歴史博物館の図録だけはAmazonで買える。この本の存在は知っていたが、古墳時代がテーマなので、私の守備範囲外として除外していた。コロナ禍の下「まともな図録を見たい!」と購入。 力作だった。 6世紀の出雲。かつて倭国統一に大きな役割を果たした出雲は、継体天皇という(知...

古代出雲歴史博物館の図録だけはAmazonで買える。この本の存在は知っていたが、古墳時代がテーマなので、私の守備範囲外として除外していた。コロナ禍の下「まともな図録を見たい!」と購入。 力作だった。 6世紀の出雲。かつて倭国統一に大きな役割を果たした出雲は、継体天皇という(知る人ぞ知る)「新王朝」ができた(書紀507年)のを機に再編される。 地球規模でいえば、510年古墳寒冷期、536年インドネシア・クラカトア火山噴火による寒冷化、等々によって洪水と旱魃が頻発していた。また、国際的には任那への外征(527)のあと兵站基地としての出雲の整備、屯倉の全国的な設置があった。国内的には九州磐井の「乱」(527)、武蔵国造の「乱」などがあった。531年頃、継体天皇の崩御。532年朝鮮金官国が新羅に投降。539欽明天皇即位。554年百済聖明王戦死。 6世紀後半、継体天皇の後継・欽明天皇(在位540-571)の天皇陵・見瀬丸山古墳(300m)を頂点に各地に100m規模の古墳が次々と造営される(反対に言えば、それ以上の規模の古墳がなかった。ヤマト政権の統制が進んだことが伺われる)。出雲は東に山代二子塚古墳、西に大念寺古墳が並び立つ。吉備にこうもり塚古墳(わたしは当然全て訪問済み)。出雲は吉備と連携しながら、出雲西部でヤマトの意向を受けながら大きな新田開発をして行ったのだろうとしている。兵站基地を整備しながら、百済と同盟を組んで朝鮮半島進出を狙っていた(663年白村江の戦いで挫折)。そして筑紫、肥前、壱岐に五基、関東になんと18基も100m規模あ前方後円型古墳が造営される。こうやって、ヤマト政権は、軍事・交通・交易拠点を整備して行ったのだと分析していた。 山代二子塚古墳、大念寺古墳、上塩治築山古墳などの島根の出土品。岩戸山古墳などの九州磐井関係のお宝、今城塚古墳などの大和新政権のお宝などの写真が貴重だった。 次第と遺物遺跡の分析が進んで、この時代に文献はないけれども、緻密な国の経営の姿が明らかになってきていると思った。 わたしとしては、「内戦を起こしてはならない」という倭国統一時代の理想が、300年を経て形骸化している。と思った。一方、次第と増える人口増を控えて、人々が新しいステージに入りつつあるのを「想像」できた。たまにはこういう図録もいいな。

Posted byブクログ