歌人紫宮透の短くはるかな生涯 の商品レビュー
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穂村弘が帯にいわく「極度に文系な魂のための青春のバイブル、ただし80年代限定版。」 豊崎由美が書評にいわく「1960年代生まれのサブカルクソ野郎が泣いて喜ぶ仕掛けがたっぷり」 作者1959年生まれ、ほむほむ1962年生まれ、トヨザキ社長1961年生まれ。 自分の母親の世代なのだなー。 作りとしては、 ・ある作家、による、プロローグ(とエピローグ)。 という枠物語の間に、 ・評伝作家、による、代表的な和歌の紹介と、脱線多めの記述。 ・各回、評伝作家が行ったインタビューや、歌人自身の文章を引用。 という各章が挟まれる、という構成。 下段の注釈の情報も豊富。(という点では、田中康夫「なんとなく、クリスタル」っぽくもある) だんだんと歌人の年齢が上がっていくが、伝記小説と単純には言い難い。 ボツッと出てきてブツッと途切れた伝説的歌人、というには、先行研究多すぎじゃねという疑問が浮かんでしまう。 また謎としての歌人を浮かび上がらせるには、カバーイラストはむしろ邪魔なのではないかと思う。 とはいえ深甚なる謎を提示するというよりは、ポップで軽薄な時代と、そんな中でゴシックを体現しようとした人物とを、折衷的に描いている、ということなのだろう。 各章が断片的すぎて深みがない、と思ったが、その浅さこそに意味がある作品なんだろう。 ……と、いまひとつ乗り切れなかったが、それは自分の現状に拠るから、とは判る。 著者の近刊「詩歌探偵フラヌール」にも手を伸ばしたい。
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満ちきたる波の大きを見上げたり見上ぐるままに溺れてゐたり (紫宮透) 本作はあくまでフィクショナルな人物として1980年代を活躍した「天才ゴス歌人」こと紫宮透の、短く、そしてはるかな生涯を追っていく作品です。メタ的な読み方は慎むべきですが、それでも、本文中の紫宮の短歌からそれに...
満ちきたる波の大きを見上げたり見上ぐるままに溺れてゐたり (紫宮透) 本作はあくまでフィクショナルな人物として1980年代を活躍した「天才ゴス歌人」こと紫宮透の、短く、そしてはるかな生涯を追っていく作品です。メタ的な読み方は慎むべきですが、それでも、本文中の紫宮の短歌からそれに関する批評から註釈までが、著者である高原さんから産み出されたのだと考えると圧巻ですよね。実在の人物や歴史的背景に造詣があるからこそ、本作のような「極度に文系な魂」のこもった素晴らしい作品が出来上がったのだと思います。 ここからは作品自体の感想ですが、本作、何よりも紫宮透という人物の魅力が間然とすることなく際立っています。 紫宮透の歌人としての出発点が塚本邦雄というところが、まさしくゴス的かつ高原さんの他著(特に『ゴシックスピリット』)にあるようなイメージを体現させるようであり、高原さんの著作の耽読者である私からみて、とても魅力的なキャラクターでした。本作では彼の歌を初期のものから順番に繙いていくわけですが、晩年に向かうにつれ、初期にあった物々しさやおどろおどろしい作風がガラリと変化したり、解脱を思わせる感性の作品が増えていくところなどは、なるほど「その手」の作家たちの生涯と似通っている部分もあって頷ける部分もあり…とにかく80年代のゴス作家の雰囲気が余すところなく伝わってくるのです…。 彼岸と此岸を彷徨い、あっけなくその存在を晦ませてしまった紫宮透の生涯は、短くもやはりはるかな、永遠のものとなりました。それはまるで、満ちてきた大波のような、力強く刹那的な生命の奔流…。本作と彼の歌とを通して、私もまたひとつの永遠に溺れることができたように思います。
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ゴス歌人・紫宮透という架空のニューウェーブ・アイコンを中心として紡がれる80年代サブカル曼荼羅。 別に「エモコア水墨画」とか「グラムメタル演歌」とかでも良かったのかもしれないが、別の時代では咲きえなかった徒花として「ゴス」の刹那性に説得力がある。 人生の終え方が「らしいなぁ」...
ゴス歌人・紫宮透という架空のニューウェーブ・アイコンを中心として紡がれる80年代サブカル曼荼羅。 別に「エモコア水墨画」とか「グラムメタル演歌」とかでも良かったのかもしれないが、別の時代では咲きえなかった徒花として「ゴス」の刹那性に説得力がある。 人生の終え方が「らしいなぁ」と思わせる。
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