まんが少年、空を飛ぶ の商品レビュー
山崎祐則さんは、「青空高士」というペンネームでまんがを描き、空へのあこがれを募らせていた少年だった。昭和元年生まれ。五男一女の四男。高知の医師である厳格な家庭で育っている。100通を超える予科練時代からの家族や祖母宛の手紙を見ていると、優しく明るく聡明な漫画の才能も飛び抜けている...
山崎祐則さんは、「青空高士」というペンネームでまんがを描き、空へのあこがれを募らせていた少年だった。昭和元年生まれ。五男一女の四男。高知の医師である厳格な家庭で育っている。100通を超える予科練時代からの家族や祖母宛の手紙を見ていると、優しく明るく聡明な漫画の才能も飛び抜けている「好青年」が、浮かび上がる。 そんな彼は、昭和20年3月、特攻隊で亡くなった。19歳だった。 本書は彼が入隊してから戦死するまでの約2年半のあいだに、ふるさとの家族に宛てて送った手紙やスケッチを全て収録したものである。 6人兄弟と言っても、次男は病死、三男は海軍兵として戦死。祐則も学歴は優秀であっただけに、父親の軍刀を渡されながら「死ぬ覚悟はあるか」の問に、素直に「ある」と答える青年に育つ。典型的な軍国家庭だった。一方で、父母宛に畏って書く手紙と裏腹に、大好きな祖母や弟宛に口語体で書く手紙は思いやりと明るさに包まれていて、マンガの挿入率もはるかに高くなっている。祖母は文字が読めないので、叔母に読んでもらうことを想定しての書き分けである。 16歳時に完成した『風船行進曲』の全体が載っていないのは残念。一部分だけでも、田河水泡「のらくろ」の技術を我が物にしているし、ディズニーのミッキーマウスを絵の見本として習っている。彼の漫画に動きがあるのは、その成果だろうし、図らずもディズニーを手本にしていた手塚治虫初期漫画に立体感がよく似ている。よくある「お人形さん」を描いてはいないのである。 予科練時代でも、上官に頼まれて『予科練時代』全21ページのコマ割り漫画を発行している。藁半紙にガリ版で印刷。厳しい訓練もユーモラスに描写して、読む人をどれだけ癒したか。ガリ版なので線が簡潔で勢いはないけど、十分に才能を感じさせるマンガであった。そういう才能が、あの時期真っ先に選ばれて散って行ったのである。 5年前の刊行。いまは戦後80年を迎えようとしている。まだまだ陽の目を見ないこのような戦中の記録が埋もれているのかもしれない。淳水堂さんのレビューで知りました。ありがとうございます♪
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漫画を書くことが大好きで、空を飛ぶことに憧れていた山崎祐則(やまさき すけのり)が、16歳で予科練に入り、19歳で特攻隊で戦死するまで家族に書き送った漫画付きの手紙をまとめた本。 これはとてもとてもよかった。本も大判でオールカラーで当時のインクや紙質も感じられる。 祐則が生ま...
漫画を書くことが大好きで、空を飛ぶことに憧れていた山崎祐則(やまさき すけのり)が、16歳で予科練に入り、19歳で特攻隊で戦死するまで家族に書き送った漫画付きの手紙をまとめた本。 これはとてもとてもよかった。本も大判でオールカラーで当時のインクや紙質も感じられる。 祐則が生まれ育ったのは高知県の夜須(やす)で、のんびりした少年時代から予科練の訓練はかなり厳しかったはずだが、家族に心配させないため、そして自分が戦死することは当然だと受け止めていた(受け止めざるを得なかった)ため、書かれている文も漫画もとてもユーモラスだ。 添えられた漫画には一コマでアニメのような動きが感じられる。 朝の着替えの絵だと、脱いでいる少年兵⇒半分着替えている少年兵⇒着替え終わっている少年兵を一枚に描く。 訓練の躍動感もある。海上でのカッター練習の絵は、高い波に斜めになる船、汗かきながら漕ぐ少年兵たち、その頭上をのんびり漂っているカモメ。 海に飛び込んだらタコさんとゴッツンコとか、飛行機で空を飛んだら雲坊主が驚いていたんだとか、 厳しい軍隊生活や戦場にいながら、余計な力の抜けたゆったり感があり、どれも見ていて笑顔になる。 そんな祐則の漫画は教官や兵士仲間にも喜ばれ、実家の食堂のメニューを頼まれたのだとか、漫画を描いたらみんなが欲しがったけど紙がなくて配れなくて残念だとかの交流もあった。 漫画という大好きなことにより、軍隊生活を円滑に送ることができたのだ。 手紙の文からは当時の軍隊生活や、日本の様子も読める。 軍隊から出す手紙には検閲が入るので正直なことが書けず、外出時にこっそり投函したり、下宿先から出したりする。そこには「先日軍から出した手紙ではこう書きましたが、本当はこうなんですーー」という本音も漏れる。 軍事上の機密は伏せ字が使われる。いつどこに移動して出撃するかはもちろん機密なので、手紙にも「○日に〇〇村に付き…」と書く。 それでも大好きな空を初めて飛んだ時、そして実家に帰ることはできなかったが飛行機で故郷の上を富んだときのときめきは、文章からも漫画からも純粋な感動、躍動感がある。 最後には、祐則戦死の知らせと、ご家族への取材の言葉が書かれている。戦死の知らせは軍が正式に通知を出すまでは機密だ。軍人の下宿のご一家や、同僚軍人は戦死したということは分かる。そこで正式な通知の前にひっそりと遺族に手紙で知らせていたのだ。 そして家族は口では「立派に働いてこい」といいつつ、戦死の知らせの嘆きはひとしおではない。 戦争資料としても、漫画としても、とてもとても良い本だった。
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マンガ、うまい!予科練に入った若者の体験がよくわかった。練習生の時は厳しいが、軍人になってしまうとかなり自由。特攻の1ヶ月前に、実家の上空を飛んだ、というのがドラマチックというか。小さい時に「将来は飛行機に乗りたいなー」と思って見上げた空を、実際に飛んで見下ろしている。もしかする...
マンガ、うまい!予科練に入った若者の体験がよくわかった。練習生の時は厳しいが、軍人になってしまうとかなり自由。特攻の1ヶ月前に、実家の上空を飛んだ、というのがドラマチックというか。小さい時に「将来は飛行機に乗りたいなー」と思って見上げた空を、実際に飛んで見下ろしている。もしかすると同じように思っている少年が見上げていたかもしれない。
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昭和17年(1942年)飛行士を望んで海軍予科練に入隊した山崎祐則さん。マンガが好きで、中学(旧制)のころから自分でマンガを描き、友達に喜ばれていた。そんな祐則さんが予科練から家族に宛ててだした手紙を中心にまとめたのがこの本。祖母や弟を気遣い、予科練での日々をマンガを交えて家族に...
昭和17年(1942年)飛行士を望んで海軍予科練に入隊した山崎祐則さん。マンガが好きで、中学(旧制)のころから自分でマンガを描き、友達に喜ばれていた。そんな祐則さんが予科練から家族に宛ててだした手紙を中心にまとめたのがこの本。祖母や弟を気遣い、予科練での日々をマンガを交えて家族に伝えている。敬愛する兄も海軍飛行士として戦死し、本人も昭和20年3月に特攻隊員として戦死している。 彼のマンガの、なんとのびのびと生き生きとしていることか!!もし生き延びていたのならば、日本のアニメ界の一翼を担うじんぶつになっていたかも。戦争中の市民の生活も垣間見れ、出撃していった兵士たちも皆普通の生活を送っていたのだと思うと、むなしさがつのります。
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19歳で特攻隊として戦死した祐則さん 飛行機が大好きだったけれど こんな目的ではなかったはず まんがをかくユーモアとやさしさ 残された手紙が語りかける 戦争の無残さがひしひしと ≪ 戦争へ向かうこの道 でも希望 ≫
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今年の戦争本は、いつになく粒が揃いました。 これは高知県から特攻隊として出水市から出撃していった、一人の少年の記録です。 直筆の手紙やらなんやらが山ほど載っていて、なんというか、本物の持つ力に圧倒されます。 どの学校でも買い! の一冊でしょう。 2018/09/12 更新
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