闘うフェミニスト政治家市川房枝 の商品レビュー
この人がいまの時代にいて、もし、首相になっていたら世の中はどう変わっていただろう。 『1945年のクリスマス』でベアテが市川房枝の通訳として二ヶ月ほど行動をともにした、と読んで興味を持ってこの本を読んでみた。こちらではベアテのことは触れられておらず、ただ、アメリカ滞在中に選挙に...
この人がいまの時代にいて、もし、首相になっていたら世の中はどう変わっていただろう。 『1945年のクリスマス』でベアテが市川房枝の通訳として二ヶ月ほど行動をともにした、と読んで興味を持ってこの本を読んでみた。こちらではベアテのことは触れられておらず、ただ、アメリカ滞在中に選挙に出るようにという電報が来て渋々帰国したとあった。 政治の流れと市川房枝が成したことが分かりやすくまとめられていて、とても勉強になった。婦人参政権の獲得、脱金権政治、女性の人権獲得。 欲を言えば、なぜ市川房枝がフェミニストになったのか、その根本のところが知りたかった。そのへんはまた別の資料に当たるべきなのかな。 治安維持法の下、婦選推進のために左派右派と婦選組織が連帯したところはシスターフッドを感じた。 戦時下において、市川房枝は政府に加担する形で生き残った。それは卑怯なわけではなく、政治から、社会から姿を消すことこそが無責任であって、いかなる状況にあってもどうしたら女、子どもの生活を守れるか考えた上での選択だった。よりベターな道を選んできたということだった。戦争反対という信念を曲げることはとても辛かったことと思うが、市川房枝の信念が感じられる箇所だったし、真のリーダーとはかくあるべしと思った。 売春禁止法が売る方だけを取り締まる法律で、買う方はお咎めなしという件はむかむかした。 ちょうどニュースで性的同意年齢は13歳で、13歳と50代でも本気の恋愛はあるやらなんやらという発言が話題になっていた。市川房枝が奮闘していた頃からなにも変わっていない。 戦後家庭科は男女共に学ぶものになったのに、女は企業戦士の妻として家庭を夫を支えるべきという考えから家庭科は女子だけ、という流れになったというのは知らなかった。 戦後日本がようやく手に入れた憲法をことごとく覆して切り刻もうとしてきたのは自民党だった。 改憲を政党の信念として掲げる自民党にいつまで政治を任せなきゃならないんだろう。任せたくない。 本筋ではないが、花井卓蔵の養子・花井忠が出てきたところがアツかった。
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