ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践 の商品レビュー
ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)は社会(公共)に関与するアートを越えた、社会に責任を伴う積極的関与(エンゲージド)をするアート SEAはパフォーマンスの要素が強い故、単なるエンターテイメントに接近する危険性を常に伴う(SEA提唱者のパブロ・エルゲラの表現だと「参加者...
ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)は社会(公共)に関与するアートを越えた、社会に責任を伴う積極的関与(エンゲージド)をするアート SEAはパフォーマンスの要素が強い故、単なるエンターテイメントに接近する危険性を常に伴う(SEA提唱者のパブロ・エルゲラの表現だと「参加者の顔塗りイベントと作品の美的レベルの違いが不明。あるいは美的レベルが無視される。」)140 そのようにアートの価値評価基準が解らなくなってくるが、それでもアートとして評価基準を作るのが大切。そのハカリは「アーティストがいかなる身体的介入を試みているか」ではないか〈星野太〉147 〈非政治的な方法的〉が最も政治的な態度になりうるという戦略〈高山明〉190 劇場や美術館の観客は、意識の高い白人インテリがメイン。一方、マクドナルドは働いているのは外国人、客も多人種、多文化、演劇やアートが目指しているものをとっくに実現している〈マクドナルド放送大学プロジェクト〉〈高山明〉204 意見の対立をあらかじめ排除するポスト民主主義の社会では、相手の論理の矛盾を衝き、理路整然と論破していくアリストテレス的弁証力は役に立たない〈藤井光〉217 偉大な芸術は、その定義からして、大衆にはアクセスできない。という問題〈ジャスティン・ジャスティ〉228 (SEAというものは)アーティストが、自己表現という安全の場を明け渡してまで他者とかかわり合うリスクを負うことによって、何が起こるのか?その「成功モデル」が今、緊急に必要だ。〈グラント・ケスター〉230 社会(特に権力や政府)を批判するアートは、ただの「風刺マンガ」じゃない?233 SNSでのレスバトルでいかに炎上させるかのスポーツみたいになった現代で、なぜ不和を生み出すアーティストの特別な才能が必要とされるのか、私には理解できない。 それに、すでに社会、政治、経済のシステムが粉々になっているのが明らかな今のこの御時世に、それを今さら再体験させるような反権力・敵対的なアートって意味無いでしょ?それって才能と洞察の無駄遣いじゃね?(クレア・ビショップの敵対的アート賛美理論に対して)〈ジャスティン・ジェスティ〉240 新自由主義の世界でSEAの台頭は、「希望の兆し」ではなく「死に物狂いのトリアージ」だ。国家が手に負えなくなった問題を資金や制度の無いまま、応急処置を行っている〈グレゴリー・ショレット〉244 もし、20世紀初頭のアヴァンギャルドが待ち望んでいた「アートと人生がついに融合する」ときは、おそらく共同体ユートピアの勝利ではなく、99%の人々にとって人生が再あになったときだろう〈ショレット〉245 SDGsは廃棄物や技術的なことよりも、人生、生活が成長、発展しなくなった社会でも、人生、生活はいかに有意義で、魅力的であり得るかを探ることが大切。これは世界中でこれから必要になるが、日本は一歩先んじている。(世界で先んじて「失われた20年」を経験してるから)その中で、日本の新しいパブリックアート(アートプロジェクト)の実験は裏返しのアヴァンギャルドだ。これは独特で、失われた10年があったからこそ、その中から出てきた。この試みは世界のアートの中で期待できる〈ジェスティ〉251
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