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異形の維新史 の商品レビュー

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2021/05/30

野口武彦「軍師の奥方」 岐阜県垂井町 赤報隊はだんだん官軍にとって異質な要素に転化していった。 2021/5/29付日本経済新聞 夕刊 天下分け目の関ケ原、その合戦場にほど近い岐阜県垂井町。JR垂井駅前で自転車を借り、旧中山道を越えて麦畑の間のゆるやかな坂を30分ほどこぐ。やがて...

野口武彦「軍師の奥方」 岐阜県垂井町 赤報隊はだんだん官軍にとって異質な要素に転化していった。 2021/5/29付日本経済新聞 夕刊 天下分け目の関ケ原、その合戦場にほど近い岐阜県垂井町。JR垂井駅前で自転車を借り、旧中山道を越えて麦畑の間のゆるやかな坂を30分ほどこぐ。やがて、白壁の堂々たる構えの門が現れた。 今も残る竹中氏陣屋跡。櫓門と水堀に夕闇が迫る=鈴木健撮影 今も残る竹中氏陣屋跡。櫓門と水堀に夕闇が迫る=鈴木健撮影 豊臣秀吉の軍師・半兵衛を遠祖とする竹中氏の陣屋跡の櫓(やぐら)門だ。子孫は徳川幕府でも重きをなし、造りには風格が漂う。 武家政権の基礎がためをした知将のかつての領地は、明治へと向かう体制の転換期に悲喜劇の舞台となった。権力の移行と、それに翻弄される人々の姿を本作は描く。 1868年1月、鳥羽・伏見の戦いが不利とみるや最後の将軍、慶喜は江戸へ逃走。「官軍」は東日本へと進出をもくろむ。しかし、旧幕府軍や佐幕派の力は侮れない。 勝機を逃すまいと官軍は、正規軍に先だって領主や住民を硬軟両様で懐柔し、味方につけるための部隊を編成させた。世に言う「赤報隊」もそのひとつである。 岩倉具視らも了解した策動だった。敵情視察やら宣伝、戦費の調達など役割は多岐にわたったが、何せ先遣の部隊は玉石混交の寄せ集め。「勤王」の一点でのみ集まった面々には、反社会的集団、当時の博徒も交じってい たという。 美濃(今の岐阜県)の大親分、水野弥三郎と配下も赤報隊の「別働隊」として、竹中陣屋を敵性資産として接収する。当時、竹中家の当主は幕府方で軍師として遠い戦場に。留守は良家出身の奥方が守っていた。少し前まで、お上に追われていた輩が、逆に治者のごとく乗り込んできたわけだ。さて、ご家中は……。 しかし、にわかな権力者の末路は悲惨だった。各地で「年貢半減」の高札を掲げたり、乱行が過ぎたりして官軍本体から疎まれ、次々に「偽官軍」と断罪され処刑される運命が待っていた。 弥三郎も例外ではない。2月初旬、岐阜・大垣の官軍の本陣から「正装で出頭せよ」と召喚され、「褒美でもくれるのか」と門をくぐると、逆にお縄に。「だまされた」と絶望したか、ほどなく牢(ろう)内で自死したという。 著者の言葉を借りれば「利用し尽くされ、御用済みとして使い捨てられた」弥三郎。「歴史の大義」というばくちに命を張って、敗れた。権力の冷酷なリアリズムは今も昔も変わらない。 (編集委員 毛糠秀樹) のぐち・たけひこ(1937~) 東京生まれ。早稲田大卒。東京大大学院博士課程中退。神戸大などで近世の儒学を専攻するかたわら、30代から三島由紀夫、石川淳、大江健三郎らへの評論にも取り組み、自ら小説も執筆した。 80年「江戸の歴史家」でサントリー学芸賞、86年「『源氏物語』を江戸から読む」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。2002年に神戸大教授を退官後は著述に専念し、「新選組の遠景」や「長州戦争 幕府瓦解への岐路」など資料を駆使した一般向け解説書で読者を広げた。 「軍師の奥方」は、幕末から明治初期にかけての諸事件を、人間の欲望を軸に描いた短編集「異形の維新史」に収録されている。 (引用は草思社文庫)

Posted byブクログ