日本の醜さについて の商品レビュー
井上章一さん(1955~)の作品、ブクログ登録は2冊目になります。 本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 個人主義で自己主張の強い欧米人とくらべ、日本人は集団主義的で協調性があり、「和をもって貴し」とする民族だと言われてきた。しかし、ひとたび街に目をむければ、それはま...
井上章一さん(1955~)の作品、ブクログ登録は2冊目になります。 本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 個人主義で自己主張の強い欧米人とくらべ、日本人は集団主義的で協調性があり、「和をもって貴し」とする民族だと言われてきた。しかし、ひとたび街に目をむければ、それはまちがいだと気づく。利権まみれで雑多な東京。くいだおれ太郎やかに道楽など人形だらけの大阪。“千年の都”と称されながら破壊と建設をくりかえす京都。ローマと東京、ヴェネツィアと大阪、フィレンツェと京都―街並をくらべると、近代化と自由化をすすめ謳歌するあまり、無秩序とエゴにおおわれたのは欧米ではなく日本なのだ。都市景観と歴史が物語る、真の日本人の精神とは? ---引用終了 「くいだおれ太郎」って、何ですか? 検索すると、大阪を代表するキャラクターとのこと。
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日本の醜さについて 都市とエゴイズム。井上 章一先生の著書。日本が集団主義的で協調性があるなんて幻想で妄想。個人主義で自己主張が強い自分勝手で利己主義だらけの日本。個人主義で自己主張が強い自分勝手で利己主義だらけだから日本の街は醜くなった。日本の街は醜さと日本人の個人主義で自己主...
日本の醜さについて 都市とエゴイズム。井上 章一先生の著書。日本が集団主義的で協調性があるなんて幻想で妄想。個人主義で自己主張が強い自分勝手で利己主義だらけの日本。個人主義で自己主張が強い自分勝手で利己主義だらけだから日本の街は醜くなった。日本の街は醜さと日本人の個人主義で自己主張が強い自分勝手で利己主義だらけである現実から目をそらさないことがはじめの一歩。
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日本は戦後、利便性・個人の願望ばかりを追い求めて建築の美、都市景観を壊してきたという筆者の意見。 都内在住の人間として、街並みの汚さは感じるところがあるので納得。 パリを訪れた時も、繁華街であっても昔ながらの美しい街並みに驚いた。 日本はごちゃごちゃとして一つ一つの看板、広告も視...
日本は戦後、利便性・個人の願望ばかりを追い求めて建築の美、都市景観を壊してきたという筆者の意見。 都内在住の人間として、街並みの汚さは感じるところがあるので納得。 パリを訪れた時も、繁華街であっても昔ながらの美しい街並みに驚いた。 日本はごちゃごちゃとして一つ一つの看板、広告も視覚的にうるさい。 都内では細長いペンシルハウス隣の住宅とほとんど隙間なく立ち並び、不動産の高騰から住宅の狭小化が止まらない。そんななかでも豊かな生活を求めて日本人は設計事務所に依頼をする。 一般人が小さな住宅に対して建築家に設計を求めることは世界では珍しいと書かれていた。 おそらく世界から見たら、庶民が狭小住宅に建築家を入れることなんかはちぐはぐで滑稽なことなのだろう…。 インスタとかを見てても、日本人って結構自己顕示欲強い人多い印象。景観・建築にもそれが現れているというのは思い至っていなかったけれど、色々と納得の内容だった。
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海外、特にイタリアと日本の都市の建築物を比較して日本人の景観に関する価値観について批判する本。エッセイ風で手軽に読める。「海外では」という論調になりがちなのと、読む人によっては不快な思いをするかも、とあらかじめ断わりながら書かれている。 言われてみれば、日本の建築は海外と比べて...
海外、特にイタリアと日本の都市の建築物を比較して日本人の景観に関する価値観について批判する本。エッセイ風で手軽に読める。「海外では」という論調になりがちなのと、読む人によっては不快な思いをするかも、とあらかじめ断わりながら書かれている。 言われてみれば、日本の建築は海外と比べて「昔からの建築様式」を捨て去り、逆に昔ながらの建物にはイベント性も伴うような懐かしさを感じてしまう。著者は日本の建築行政は安全性には事細かだが景観や文化の継承に関しては無頓着だと批判している。 お堅い話しばかりではなく、薬局の店頭のマスコットキャラ、日本独自のものらしいKFCのサンダースおじさん、ラブホテルの建築様式が「子供じみている」という言及をしているくだりは、批判を含みながらも色々気づかされることが多くて少し笑える。
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日本のとイタリアの都市景観の差を、文化的歴史的背景から論じた本。 視点が面白い。が、結論に救いがない。 日本の都市景観が醜い理由の1つに、公共心の欠如をあげている。その通りだと思う。 都市景観だけでなくインフラ問題など問題は山積している。都市や地域の公共性について議論をしなければ...
日本のとイタリアの都市景観の差を、文化的歴史的背景から論じた本。 視点が面白い。が、結論に救いがない。 日本の都市景観が醜い理由の1つに、公共心の欠如をあげている。その通りだと思う。 都市景観だけでなくインフラ問題など問題は山積している。都市や地域の公共性について議論をしなければいけない時期に来ている。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
全く纏めにくい本である。 まあこの本に限らずこの著者の本は全てそうなのであるが・・・結論だけを纏めるのは簡単だが、著者はいろんな面白い例を繰り出して煙に巻く、その面白さを伝えるのが大変難しい。 著者は、冒頭で「これから世間の常套的な物の見方にはむかう」と、見得をきる。 「いわく、日本人には強い自我がない。欧米人とくらべれば、自己主張は苦手である・・・(略)・・・逆に全体の気配を察して、自分の立ち位置を探ろうとする・・・社会科学めかしてあらわせば、集団主義的な性質を日本人はおびている。逆に、欧米人は個人主義的であるという」 この定説を建築というか都市景観という視点から突き崩していこうと試みているのが本書である。但しどこまでが読者に受け入れられるかは???である。 欧州と日本との都市景観の比較を試みている。 ・フィレンツェと京都、ヴェネツィアと大阪、ローマと東京等ヨーロッパの街並みと日本の都市景観の比較。我が国が誇る古都京都でさえ、都市景観という視点で見れば、落第であることがよくわかる。 ・ドイツ軍に破壊しつくされたワルシャワの街を、ポーランドでは破壊される前の1760年代の景観に復元したという話。 ・第二次大戦で、イタリアはローマが空爆を受けた翌日には、ローマの遺跡を守るために休戦を宣言している。日本では初めての空爆後3年4ケ月も抵抗をし続けた。イタリアが休戦を公表したあとに日本の大本営はこの国を口汚くあざけった。そう叫んだ大本営に、ローマの歴史遺産への想いをはせた者は、絶無であったろうと・・・我が国の文化的貧困を著者は嘆く。 ・また第二次大戦のパリの解放しかり・・・ここで私はノンフィクション小説(映画にもなった)「パリは燃えているか」を思い出した。ヒトラーのパリ爆破命令に背いて、連合軍に無条件降伏をしてパリの街を守ったドイツの将軍がいた。 現代の日本の建築行政は、安全面の配慮に神経をとがらす、火災の避難準備、建築資材の確認、風圧への備え、地震対策等々、だが、意匠面の要請は殆どない。街並みとの調和を求められるケースはまれである。 その結果、勝手気儘な色や形のビルがならび、ふぞいな街並みが出来上がる。そんな日本的傾向は、大阪の道頓堀あたり(動くカニや食い倒れ人形等のバラバラで猥雑な街並み)で頂点に達する。 「欧州の建築家には、皮肉も込めてのことだろうか、こう感嘆するものもいる。ヨーロッパではありえない表現の自由が、ここにはある・・・(略)・・・あの景観を、大阪が生み出した風変りなそれとして、受け止めるべきではない。あそこには、日本の近代の姿が、集約的に投影されている」 かくて著者は「建築が『利益のためだけにつくられる』。ヨーロッパではありえない自由を、日本は勝ちとった・・・近代の日本はブルジョア革命をなしとげたのだ」とうそぶく。 都市景観については、私は素人だが、そういう概念そのものがなかった日本とヨーロッパを比較するのは、そもそも無理な気がする。 特に日本は木造建築主体で、台風・地震・火事にもてあそばれて、大陸の頑丈な岩盤の上に作られた石造りのヨーロッパとは比較しようがないと思うが、それを真面目に反論しても、この著者の場合意味がないように思う。 著者は、従来思いつかなかったような例を並べ立てて、世の中の定説というような既存の考えを引っ掻き回すことに、喜びを感じているのかもしれない。 つくづく食えないオヤジだと思うが、視点を変えて、このような見方もあるなと、面白がって読むと、読書の楽しみ方に幅が出来ると思う次第です。
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美しい国、って最近聞かなくなったね。 -------- 建築家・安藤忠雄の仕事に「住吉の長屋」というものがある。17坪の敷地に建つ、雨の日にはリビングからダイニングへは傘が必要、ということでも知られている。 本書はこれをとりあげて、ヨーロッパではとうとう成立しなかったブルジョワ...
美しい国、って最近聞かなくなったね。 -------- 建築家・安藤忠雄の仕事に「住吉の長屋」というものがある。17坪の敷地に建つ、雨の日にはリビングからダイニングへは傘が必要、ということでも知られている。 本書はこれをとりあげて、ヨーロッパではとうとう成立しなかったブルジョワ革命がみのったのだ、と揶揄している。 日本の良さは、和をもって貴し、ということになっているが、じつのところどうだ。そんな街並みは日本中探してもほんの少ししか無い。あったとしても法的な制約からで、建主の権利・主張によって成立しているわけではない。 町人が町人という身分から解き放たれて、好き勝手なものを建てて良い、というのが日本の近代の「革命」だ。 その結果、木造の町家が並ぶ街へ、石やレンガの洋館をはめ込んでいった。 そういうことに、グチグチと文句を連ねる本である。気持ちよくはないが、我が意を得たり、ではある。 坂口安吾の桂離宮批判「日本文化私観」と、かつての自分の意見が似ている、と指摘されたことに、冗談じゃねえあんなのと一緒にすんな、的なお話が続く。バラックでいい、という話と、桂離宮礼賛におかしさを唱えるのは違う話、なんだよね。 さて、本書には、住宅様式の変更に、パナソニックなどの家電メーカーはいち早く対応したが、出版社は対応しきれなかった、ということが触れられていて、そこは本筋じゃないかもしれないが、大変興味を持った。 家電メーカーは、家電を置く場所を作るために家を生み出した。パナホームなるハウスメーカーも作った。しかし出版社は、応接室、などが必要なくなり、見せびらかすための全集・叢書の行き場所がなくなったのに、売れなくなった理由をそうは考えなかったのではないか、というのだ。 そうか、出版社は本を家に置かせるためにハウスメーカーをやったらよかったのか! というのはあまりにもベタな感想だが、それが主流になっていたら、日本の醜さも少しは恥ずかしさで隠されたのかなあ、などと無理やり夢想してみる。
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20190126 中央図書館 井上のもともとの背景である建築を切り口に、イタリアと日本の比較の視点などから、日本はそれほどのものじゃない。。というスタンスかな。あるいは天の邪鬼的に逆の意味かも。
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ほとんど読んでこなかった版元が2つある。角川と幻冬舎。過去にテレビで見たトップに立つ人の何かがそうさせたのだと思う。本書もどうしようかちょっと迷ったけれど、娘が建築関係に進みたいと言っていることもあり、久しぶりに章一さんの本を読もうと思い立った。「京都ぎらい」は読まずじまいだった...
ほとんど読んでこなかった版元が2つある。角川と幻冬舎。過去にテレビで見たトップに立つ人の何かがそうさせたのだと思う。本書もどうしようかちょっと迷ったけれど、娘が建築関係に進みたいと言っていることもあり、久しぶりに章一さんの本を読もうと思い立った。「京都ぎらい」は読まずじまいだったから、キリスト教の本か性欲研の本かくらいから15年ほど遠ざかっていたはずだ。で、やっぱりおもしろい。視点がおもしろい。ヨーロッパへは新婚旅行で20年ほど前にライプツィッヒとウィーンに行ったきりだが、町並みは大変美しかった。石畳があり、建物も外観は古いままで、タイムスリップしたような気分が味わえる。それに引き換え京都はどうか。古いお寺があったり、石塀小路があったり、京町屋がときどき出現したりはするが、スクラップアンドビルドで次々に新しい建物が立ち並ぶ。最近は、コンビニなども京都らしくと、景観を意識したりもしているが、それもほんの一部のこと。ヨーロッパの古都とは比較にならない。こういう点をとりあげて、日本人は個人主義であり、ヨーロッパの方が圧倒的に集団主義であると、ふつう言われるのとは逆の結論に持って行く。おもしろい。それで、本書で一番おもしろいエピソードは、「美人論」執筆のためにか、モデルだかアイドルだかを取材したときのこと。「桂離宮」を研究されている方と紹介されたのち、インタビューをしていた女の子に「桂離宮」って落語家さんですか?なんてきかれたとのこと。電車の中で読んでいて、思わず吹き出しそうになった。さて、さて、娘に読ませて、建築科の推薦入試にちょっとは役立つのだろうか? ちなみに、娘にも「桂離宮」って知ってる?と聞いたら、なにそれ?人?とか言っていた。千利休と勘違いでもしたのだろうか。京都に住んでいながら情けない。文化資本が不足している。
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