「空間」を「場所」に変えるまち育て の商品レビュー
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まちを編集する目 「分母」を大きくしてきたまちづくりではなく「分子」を充実させていくまち育てへ まちをつくる人(行政)とまちを食べる人(市民)の役割 ・まちを食べる人(市民)はあくまで食べるプロとして参画すべき ・作ってもらったものを食べて文句を言うプロセスはかつてのカタチ。これからはまず、➀食べる側が素材を提供し、➁つくる側が味見の場としてWSを活用。そのうえで、③食べる側は器やBGMなど食べることの工夫を凝らす。④つくる側はプロとして料理に徹する。そんな形の公民連携が理想的。 →参加型のデザインに対する北原先生の視点 「まち育て」に関する整理 ・「空間」は多様な人々の思いとアクションによって「場所」へと変容していく。そんな編集の場において「つくる側と食べる側の境界がなくなった真の意味のパートナーシップ」を実践していくことが「まち育て」である。 ・「まち育て」を意識した参加の真骨頂は、一般的な考え方から少しはずれた意見をどのように生かしていくかに尽きる。 「かぐじ」をうまく活用する事例 ・かぐじ広場はアンコの部分を民が上手に「公」として再生した事例。アンコをうまく民間が活用している好例は長野のパティオ大門や代官山のT-SITE。民ではなく公の意識が連担しているところに黒石らしいまち育ての本質がありそうである。 WSに対する見解 ・WSは創造的なケンカであるべきで、予定調和の平均点(北原先生的に言うと積分的まちづくり)を取りに行くのではなく、多様な傾き、ベクトルを編集する微分的まちづくりの視点が重要。 コンパクトシティについて ・都市を縮めるのではなく、どこを、何を、誰を育てるつもりがあるのかが明確な都市が名乗るべき名前。 ・コンパクトシティの本質はマネジメント。上手に使って育てていく視点。 ・コンパクト+ネットワークのネットワークは食べる人(市民)のネットワークであり、つくる人側の話ではない。 中心市街地に関して ・中心市街地は茎であり根である。それがしっかりしないと花は咲かない。 持続的なまち育てを目指して行うべき発想の転換 1)~を集約する → ~をつなげる 施設集約ではなく、富山のような駐輪所や散策路、バナーなどがLRTのネットワークと一体になったレールライフの提案など 2)~をたたむ → ~を活用する 現時点で衰退している部分を切り捨てるのではなく、あるものを資源として生かす視点 3)~をつくる → ~を育てる 「フローからストックへ」を超えて、ストックを新たな時代のフローに転換する「再編集」 4)~に行く → ~にいる 目的地についてからそんなにすぐには出ていかない人を想定する視点、目的地となる空間ではなく、居心地の良い「場所」を中心とする視点。 ・地域に住み続けたいと考える市民と一緒に編集を進めていく覚悟 ・子供たちに教えられたまち育ての核心は、「だってここ、私たちの場所だもん」 → パブリックマインド。私たちの所有するではなく、私たちの大事な、大好きな、気になる場所という視点。
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