焼畑のむら の商品レビュー
焼畑の具体的な技術、サイクル、山仕事をていねいに追い、そこから生じるむらの生活にまで考察を広げている。面白かったがところどころ立ち入りすぎではないかと居心地の悪さを感じた。 焼畑の目的は灰を肥料とすることではない。椿山は富村であった。等、イメージを覆される部分がいくつもあった。...
焼畑の具体的な技術、サイクル、山仕事をていねいに追い、そこから生じるむらの生活にまで考察を広げている。面白かったがところどころ立ち入りすぎではないかと居心地の悪さを感じた。 焼畑の目的は灰を肥料とすることではない。椿山は富村であった。等、イメージを覆される部分がいくつもあった。 いまや秘境ブーム?的なもので有名な椿山である。 深山にとざされた自然のくらし、理想の地のように語られることもあるが、農機具が発達しなかった不安定な焼畑(そういえば、むらびとは米にあまり執着していないように読めた。その視点の研究がなかったのは残念)、痛ましい死亡事故が起こった危険な林道、小学校の統廃合、平家の末裔という誇りからくる共同体意識もうすれてゆく。 生活の糧を得ていた焼畑の土地に植林をする、山から供給が得られなくなる昭和40年代の動きをここまでつぶさに見せられると、理想とは夢幻にすぎないと感じられる。消滅へとむかう山村も自然の形なのだろう。 情熱的な本ではあったが、著者の視点に調査対象になった人びとへの敬意が欠けているのは気に入らない。よそ行って勝手に人の家を覗いておいて「みすぼらしい」は、ない。事実を述べたのみであっても、表現としてそういう言葉を選ぶべきではない。そういった侮りが端々に感じられる。 むらびとが「よその人にはあまり言いたくない」が、著者が信頼を勝ち得たためにやっと得たような情報があることも心配になる。この本を読めばむらびと同士で気まずくなることもあるのではないか。 かりに、わたしが当時の椿山の住民であったなら、こんなにもプライバシーのあばかれたところにはもういられないと思って町に出るだろう。調査は半世紀前のことで、現在の椿山は世帯数1軒となり作中で調査対象となった人々はとうに故人となっているかむらを出ていることと思うが。 作中の調査で一般書にあたるような本をおいている家が1軒のみであったというが、それゆえにあなどったのだろうか?それとも昭和40年代とは個々のプライバシーに配慮がおよばない時代だったのだろうか?かつては高知の山村というものがどこか遠い国のおとぎ話のように感じられていたのか? と、モヤモヤしていたら後記でおそらくそういったことについて批判があったこと、著者が故人であるゆえにそのまま出版したとことわりがあった。
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