山極寿一×鎌田浩毅 ゴリラと学ぶ の商品レビュー
人間の脳の特性について大変勉強になる そうした生理的条件が「社会生活」を規定している 科学者の社会論として秀逸 優秀な先生は教養に溢れている
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◯山極先生と鎌田先生の対談という自分好みの一冊。当然とても良い。 ◯ゴリラの本(というか山極先生の書いた本)を読むと、この人は一体どんな人なんだろうか、という思いが湧いてくる。この本はまさにそれに応えてくれる。先生の生い立ちから、ゴリラを研究するきっかけ、これからの科学のことも議...
◯山極先生と鎌田先生の対談という自分好みの一冊。当然とても良い。 ◯ゴリラの本(というか山極先生の書いた本)を読むと、この人は一体どんな人なんだろうか、という思いが湧いてくる。この本はまさにそれに応えてくれる。先生の生い立ちから、ゴリラを研究するきっかけ、これからの科学のことも議論している。 ◯講義レポートにあるように、異なる研究分野の第一人者が議論することは大変意義あることで、それによって新しい視点や気づきが生まれてくることを実感する。それこそデカルトの要素還元主義では辿り着きにくい領域を、まさにこの本(対談)では実現していると思う。 ◯この本を若い頃に読んでいたら、間違いなく京大を目指していただろう。いずれにせよ、高校生から学部生くらいまでには読んでおくと良い本。 ◯「ゴリラの森、言葉の海」では、山極先生をゴリラのような人という記載があったが、この本ではその理由が見えてくる。群を率いる頼り甲斐のあるオヤジ、シルバーバックである。
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人間の社会学や倫理を生物学的視点から紐解く興味深い内容。山極教授の話はいつも面白い。人間も結局は本能むき出しの獣という生物である。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
山極寿一氏の対話を通じた半生振り返り。人間の特殊性として、認知に使うのは視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の順。但し、人間関係において信頼をつくるのは逆という話が非常におもろい。
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山極さんの遍歴は破天荒でおもしろい。大きなテーマ、生涯かけてやりたいものは諦めるな、という言葉は心に響いた。 京大の教養部の授業で、杉山幸丸の講義を聞いて自然人類学を知った。その時に、古本屋で「ゴリラとピグミーの森」を見つけて、これは凄いと思った。 大学院に入った時に、日高敏...
山極さんの遍歴は破天荒でおもしろい。大きなテーマ、生涯かけてやりたいものは諦めるな、という言葉は心に響いた。 京大の教養部の授業で、杉山幸丸の講義を聞いて自然人類学を知った。その時に、古本屋で「ゴリラとピグミーの森」を見つけて、これは凄いと思った。 大学院に入った時に、日高敏隆先生が京大に来た。サル学は社会を知るために行動を見るもの。社会や文化は動物には認めないという西洋の考え方に反発していた。霊長類学のルーツは人類学であり、社会や文化が人間以外の動物から立ち上がってきたルーツを調べるために始まったもの。動物行動学は、行動がどのようなメカニズムで起き、どのように進化してきたかを調べるものであり、対象は個体で生理や遺伝子も調べる。社会生物学は、個体間の応答が探知できるものから出発し、行動が進化するためには個体の生存と繁殖に寄与しないといけないと考える。 ゴリラでホモセクシュアルな行為が頻繁に起こることに気づいて、優劣を表面化しない社会がつくる副産物だという説を展開した。伊谷のプレバンド仮説とは、コミュニティの内部に家族が作られていくという説。 大人どうしで食物の分配が行われる種では、必ず大人から子供に対しての食物の分配が行われることから、大人から子供への分配が大人どうしの分配に普及したと考えられる。この行動がみられるのは、子供の成長が遅い類人猿と、一度にたくさんの子供を産むタマリン、マーモセットに集中している。 人間の子供は分厚い脂肪に包まれて生まれ、その脂肪は脳の急速な成長を維持するために使われる。赤ちゃんは脂肪が多くて重いし、母親に掴まることができないから、母親は他の人に子供を預ける機会が多い。チンパンジーやゴリラの赤ちゃんは、ずっと母親に抱かれている。母親が近くにいないために、赤ちゃんが大声で泣くのは人間だけ。赤ん坊をなだめるインファント・ダイレクテッド・スピーチは、ピッチが速くて繰り返しが多く、音が高めの特徴がある。赤ちゃんに対して優しく接する能力が大人の間に普及して、音楽的な音声を出して安心させたり心を通じ合い、相手と一体化する行動が共感力の源になった。これによって、恐怖に対してみんなが心をひとつにして耐えて闘うことが生まれた。進化の過程で共感力を獲得したのは、類人猿とマーモセットやタマリンに多い。人間が他人のことを思いやる行動をすれば、精神的に安定し、健康になることは、精神医学の研究からも示唆されている。共同の子育てという行為が、人間の社会性をつくり、家族とコミュニティの二重構造を生んだ。 思春期とは、脳が完成に達して、身体にエネルギーを与えることができるようになって成長する時期。親以外の人たちが思春期を支える必要が学校につながったと考えられる。世界中のどの民族においても、成人儀礼は男性にしかない。子どもを育てるパートナーとして、子どもを保護できる能力を持った男性として認めるための、人生に区切りをつけるために文化的に作られたもの。 閉鎖的な社会では、互いの性格や行動様式を知っているから、身体感覚で問題を解決できたが、グローバル化して人と物の動きが活発になると、人間は規則やルールに依存していくようになる。ルールがあるから相手の立場を考えながら解決策を提案していく時間を使うのがもったいなくなると、信頼や共感が人間社会から消え去り、個人は孤独になっていく。インターネットや携帯電話は孤独を紛らわし、社会性をつなぎとめるツールとしては役立つが、身体性がないため、安定感が失われていく(「サル化」する人間社会)。 経済中心の社会ではなく、社会中心の経済をつくらないといけない。今は経済が右肩上がりでないと社会が成り立たないと脅迫されている。山極は、都市と地方の二重生活を提案している。ふるさと納税によって産品を受けるのではなく、サービスを受けたり、行事に参加したり、老後の楽しみをもつ権利を手に入れることができるようにすることを提案する。 1983年 モンキーセンター 1988年 霊長類研究所 1998年 京都大学 2014年 京都大学総長 <考察> 子供をあやす行動が音楽や共感力の源になったとの見解は興味深いが、社会の発達が脳を大きくしたとの説との進化的順序はどうなるのだろうか。
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これまた面白くないはずはない、と思って読み始めたが、やっぱり面白かった。とにかく、人の人生を振り返るのはおもしろい。山極先生が国立(くにたち)から京都へ来て、ニホンザルからゴリラへと研究テーマを移していかれるあたり、まあ、おもしろくないはずがない。近衛ロンドの話とか、もっと詳しく...
これまた面白くないはずはない、と思って読み始めたが、やっぱり面白かった。とにかく、人の人生を振り返るのはおもしろい。山極先生が国立(くにたち)から京都へ来て、ニホンザルからゴリラへと研究テーマを移していかれるあたり、まあ、おもしろくないはずがない。近衛ロンドの話とか、もっと詳しく知りたい部分であるが、まあそれはそこそこに、後半では学問的な内容にもふれられている。今後の霊長類学はどうなっていくのか、われわれはどこへ行くのか、そして京大はどうなっていくのか。鎌田先生の専門である地球科学の話ももっとあっても良いように思うが、今回はホスト役ということか、山極先生の話を聞きだすことに徹しているような印象を持った。そんななか、ちょこちょこと自分の本の宣伝をされているのはおもしろい。これから、シリーズものとして続いて行くのだろうか。どんなラインナップだろうか。
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