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1964 東京五輪聖火空輸作戦 の商品レビュー

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2018/10/21

東京オリンピックの聖火リレーを成功させるに至る苦労を書いたもの。事前に中東やアジア諸国を巡り、調査をしつつ、型式証明の取れていない国産機YS-11の使用が決まるなど、数多くの困難を乗り越えて聖火リレーが行われていたことが、よくわかった。 「終戦からまだ20年も経っていない驚異的...

東京オリンピックの聖火リレーを成功させるに至る苦労を書いたもの。事前に中東やアジア諸国を巡り、調査をしつつ、型式証明の取れていない国産機YS-11の使用が決まるなど、数多くの困難を乗り越えて聖火リレーが行われていたことが、よくわかった。 「終戦からまだ20年も経っていない驚異的な早さで、オリンピックを開催できるまでに立ち直った日本。その姿を世界にアピールするとともに、自分たちもまた自信を取り戻し、改めて立ち上がっていくための祭典と考えられたのである」p12 「(第3回アジア大会)聖火の採火はギリシアのオリンピアならぬフィリピンのマニラで行われた。それは前回にあたる第2回アジア競技大会の舞台がマニラだったからだ。採火された聖火は、空路で沖縄を目指す。その栄えある飛行機に選ばれたのは、海上自衛隊のP2V-7だった」p28 「オリンピック第1回大会(1896年、アテネ)、1900年パリ、第3回セントルイス大会には、聖火はなかった。結局、近代オリンピックにおいては、1928年の第9回アムステルダム大会になってやっと聖火が登場するのである」p46 「戦後初となる国産旅客機の世界デビューを、東京オリンピック聖火リレーで行おうと目論んでいたのである」p107 「(台湾)東京オリンピックは日本の名誉だけでなく、アジア全体にとっての名誉です」p158 「日本航空は1951年の運航開始時は外国人パイロットによる運航だった経緯もあり、長い期間にわたって相当数の外国人乗務員を抱えていた」p188

Posted byブクログ