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潜伏キリシタンは何を信じていたのか の商品レビュー

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2018/03/23

隠れキリシタンという一般に思われているような敬虔な殉教者のイメージは、禁教が一巡するとその後の世代には継続されず、一般の信者は教義を知ることなくただ先祖が敬ってきたという前例を踏襲してきただけである。それゆえ今でもカクレキリシタンというクリスチャンでも隠れキリシタンでもない宗教(...

隠れキリシタンという一般に思われているような敬虔な殉教者のイメージは、禁教が一巡するとその後の世代には継続されず、一般の信者は教義を知ることなくただ先祖が敬ってきたという前例を踏襲してきただけである。それゆえ今でもカクレキリシタンというクリスチャンでも隠れキリシタンでもない宗教(?)が存在する。 ポルトガル人による鉄砲伝来とともにキリスト教が日本に上陸し、その貿易の魅力から多くの有力大名がキリシタンとなって、強制的に支配下の住民をキリスト教徒にした。その数は日本国民の3%にもなり、現在の0.8%よりも大きい。ただ、司祭の数も少なく、彼らの言語能力は限定的で日本人の助けを借りなければならず、末端まで教えが浸透しなかった。 秀吉の禁教令から、向かい風に変わり徳川幕府の徹底した禁教で1644年最後の日本人司祭が殉教する。その後は誰も教えることなく、地下にもぐるが、その実態はキリスト教とは言えるものではなく、神仏習合の上にキリスト教が乗っかった現世利益と先祖崇拝を重視する日本的宗教に変化したものだった(例:マリア観音)。 オラショはもともとポルトガル語混じりで意味不明であったと思われるが、さらに端折られて呪文化した。また葬式の時だけ祈るようなものとなり、葬式仏教と変わらないような状況にもなっている。

Posted byブクログ