済州島四・三事件 の商品レビュー
学部時代の恩師に頂いた本。 恩師が四・三事件の数少ない研究者であるということを知りながらも、この事件についてあまり深く知ろうとしてこなかったのだが、この度、四・三事件70周年を迎えて済州島に旅行する気になったので初めて真面目に読んでみた。 不良で出来の悪い弟子である。 私はこの...
学部時代の恩師に頂いた本。 恩師が四・三事件の数少ない研究者であるということを知りながらも、この事件についてあまり深く知ろうとしてこなかったのだが、この度、四・三事件70周年を迎えて済州島に旅行する気になったので初めて真面目に読んでみた。 不良で出来の悪い弟子である。 私はこの事件について、大韓民国成立後に強い反共イデオロギーを帯びた政府が済州島の一部の左派(とその家族)を弾圧した・・・といったレレベルのものだと認識していた。 しかし、同書を読むとそんなレベルのものではなかったようだ。 分断を固定化する単選単政に反対する勢力の蜂起を契機に、島民の老人や赤子までを皆殺しにするような弾圧が各地でお行われ、壊滅した町があるほどだという。 当時、GHQやその傀儡であった韓国政府に対する反発は済州島のみならず、本土にも存在した。 そんな中、虐殺といえるような四・三事件で実際に手を下したとされる西北青年会は、北朝鮮の社会主義革命を嫌って南に渡ってきた青年たちだったという。 誰もが分断という体制に翻弄されたのだ。 四・三事件は過去のものであって、いまだ過去のものではない。 この四・三事件の「性格」についてはっきりと認定されていないからだ。 政府による一方的な弾圧とは言い切れず、民衆側が武装団を作ってそれなりに激しく抵抗したこと、背後に北朝鮮がいたかもしれないこと・・・そうしたことを理由に、老人や女性、赤子までが無差別に惨殺されたこの事件は、いまだ正しい呼び名を持たない。あまりに激しかった弾圧ゆえに、被害者らが長く口を閉ざしたまま死んでいったこともその原因だという。 私はこの事件について多くを知らない。 今回、済州島に旅行にいって関連する場所を訪ねて肌で感じてきたいと思う。
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