雲上雲下 の商品レビュー
神々の雲上の世界と私たち人間の雲下の世界をつないでいたのはおとぎ話だった、というお話。 日本には昔から語り継がれるお話がたくさんある。そういうお話によって、目には見えないものを畏れ敬う心、周りを労り慈しむ優しい心などを学んできたということは確かだと私も思う。私が子供の頃は、TVで...
神々の雲上の世界と私たち人間の雲下の世界をつないでいたのはおとぎ話だった、というお話。 日本には昔から語り継がれるお話がたくさんある。そういうお話によって、目には見えないものを畏れ敬う心、周りを労り慈しむ優しい心などを学んできたということは確かだと私も思う。私が子供の頃は、TVで毎週「にほん昔ばなし」を見せられていたものだが、今から思うと、とても良い情操教育だったなと思う。必ずしも楽しいお話ばかりではなくて、残酷で救いがなかったり怖かったり悲しかったり切なかったりするお話も多いけれど、生きていくことは実際 楽しく幸せなことばかりではないので、聞くのが辛いようなお話も、心構えというのかつっかえ棒というのかになったような気がする。 そして、今現在、そういったお話がどんどん忘れられていっているというのも本当だと思う。それはとても残念なことだ。子供のころから色々な話を聞いて想像力や感情を耕しておくということは、人生において大切な核になることだと思う。
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不思議なお話だった。昔話と神々と。 でも、語られなければ忘れられるのもそれもまた、自然なことで、大事なものを失っているかもしれないけれど、時代によって生まれたもの、磨かれ育っているものもあるし。現代の民草の声が聞き取れない、ひとびとが冷たくなっていってるような流れがちょっと、懐古...
不思議なお話だった。昔話と神々と。 でも、語られなければ忘れられるのもそれもまた、自然なことで、大事なものを失っているかもしれないけれど、時代によって生まれたもの、磨かれ育っているものもあるし。現代の民草の声が聞き取れない、ひとびとが冷たくなっていってるような流れがちょっと、懐古趣味というか。 心の拠り所や教訓を得る場所は、なくなったわけではなく形を変えただけだとおもうので。予言的な神様はいらっしゃらなかったのだろうか。 でも惹き込まれる世界だった、語り部の言葉も調子も耳障り良く、異形のものたちも像が浮かびやすくて、寝入りしなに頁を繰るのにとても向いている1冊だった。満足。
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人間は「物語」なくしてはいられない生き物らしい。 一人一人が自分の「物語」を持つことで生きている。 「雲上雲下」の中で一度失いかけた「物語」は、また甦る。 今こそ、「物語」の力をもう一度信じよう。私も細々と語り続けたい。
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なかなかおもしろかった。 昔話を知っていると知らないとではおもしろさが違うだろうなあ。 終わりがね、ちょっと物足りなかった。
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図書館で借りたもの。 子狐に山姥、乙姫に天人、そして龍の子。民話の主人公たちが笑い、苦悩し、闘う。 やがて物語は交錯し、雲上雲下がひずみ始める。物語が世界から消えてしまうのか? 不思議で懐かしい、ニッポンのファンタジー。 草どんが語り手。 なぜこんなに物語を知っているのか、本人もわからない。 『わしはいったい、何を見聞きしてきた者なのだ。』 草どんが語る物語が面白い。特に田螺を産んだ夫婦の話「粒や」が好き。 実は雲上で神々に仕える「福耳彦命(ふくみみひこのみこと)」だった草どん。 いわゆる「民話」「昔話」が語り継がれなくなってきている現代。 子どもに読んであげたい。 古い物語を引き継いでいきたい。 そう思わせる作品だった。
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朗読したいと思わせる本! 草どんが子狐に聞かせる昔語り、語呂合わせやリズムが心地良い調べでぐいぐい引き込まれていった。妖精や魔法使いの替わりに山姥や田螺、猿、亀、龍などが登場する日本独特のファンタジーの世界だ。外国のように美しくきらびやかではなく地味だが、ほのぼのとして日向ぼっこ...
朗読したいと思わせる本! 草どんが子狐に聞かせる昔語り、語呂合わせやリズムが心地良い調べでぐいぐい引き込まれていった。妖精や魔法使いの替わりに山姥や田螺、猿、亀、龍などが登場する日本独特のファンタジーの世界だ。外国のように美しくきらびやかではなく地味だが、ほのぼのとして日向ぼっこしているような温かさがある。目下傾倒している森谷明子さんが描く世界観に近い印象を持った。 幼い頃、見聞きした昔話がたくさん語られたが、私が見知った昔話はすでにダイジェストされたものだったのだろうか。本作で取り上げられた昔話は長編だった。それは作者が更に肉付けを施したものか、それとも本の最後に提示してある語り部の方々が伝えられているものなのかと興味深かった。小さい頃は半ば退屈しながら読んだのに、お話を聞いている子狐みたいに「話の先はどうなるの?」とドキドキしながらページを繰った。 だからだろうか? 三章『物語の果て』は理屈っぽくなり、せっかく楽しんでいた物語の世界から現実に引き戻され残念だった。 たぶん、昔話に耳を貸さない親や子供たちが増えている昨今を憂えてのことだろうが・・・。昔話に登場する者らの姿が消えかかり消滅寸前となる。そこで草どんは草だったのではなく、昔は天上に住んでいてお話を語る福耳彦命だったと話はしめ繰られている。 特にP14の春の風は鈍物で、夏の風は計算深く、数奇者を気取る秋風、冬の風は話にならない~と、1ページに渡る描写は巧い。 以前、朗読会で披露した「つつじのむすめ」も懐かしい。私が語ったのは松谷みよ子さんの絵本で、本作で取り上げたのと少し異なる。 しかし、毎夜訪れ葬られた娘を不憫に思うより「あれじゃあ男も怖かっただなぁ~」と、山姥がふっと洩らし、私も回を重ねるごとに同様に感じたのを思い出しくすっと笑ってしまった。
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朝井まかてさん。本当に情景を書くのが秀逸。 昔噺の場面も、そこに入り込むような感じになる。 後半の雲上の部分もよかったけど、そこから先がジェットコースター。とてもきれいな話だったので、きれいなままがよかったかな。狐の嫁入りと子狐のつながりをもう少しきちんと読みたかった。 どの昔噺もとてもすてき。猫さんたちがかわいくて、乙姫がものすごくかっこよかった。
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日本農業新聞に連載~崖の縁にある樹木よりも丈の高く、幾千もの耳たぶのような葉を持つ草はしっぽの千切れた子狐から「草どん」と呼ばれ、お話をせがまれる。転がって行く団子を追いかけて地蔵の親方に会う老夫婦。田螺が出世していく。竜宮の亀は鱶の陰謀を暴く。うらぶれた寺が飼い猫のお陰で隆盛を極める。山姥が加わり,南西の湖を目指す小太郎を子狐が崖の小道に案内する。川に親が流され長者の家で養われた花は決心して飯盛り女に志願。小太郎は生みの親を探して湖を目指す。母は犀龍。川が溢れて人が難儀するのを見たくない小太郎は平らな農地を母にせがむが、小太郎も龍の姿に。山姥の生涯を語り散華。子狐の尾がふさふさとなり、母狐は九尾の玉藻前だった。草どんの名は福耳彦命、民草の話を拾い集める神々の語り部だった~「神々の物語を紡いでいのは人々の心だと、ようやくきがついたのに」「物語こそが、雲上と雲下をつなぐものであったのに」…でも希望は残っている
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登場人物と登場人物が語る民話が入れ子構造になっていて、非常に面白く読んでいたのだが、終盤で「はてしない物語」的な設定が明らかにされ、どう巻き取られるのかと思ったら。
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昔に読んだ昔ばなしが今はもう語り継がれていない そんな昔ばなしは無きものとして殺戮ゲームやLINE依存への警鐘を匂わせた内容だがちと無理がないか? 急に現代用語が出てくるのは白々しく、最終章あたりで一気につまらなくなる 「結」の展開がもう少しファンタジーっぽいほうが前半の盛り上がりをきれいにまとめ上げられただろうになぁというのが正直な感想 あい、あい
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