国民のための戦争と平和 の商品レビュー
小室直樹先生の著作は三国志と並んで 僕の世界観や思考の原点です。 本書は昭和56年に執筆されたにもかかわらず 未だに多くのことを示唆されている。 小室の前に小室なく、小室の後に小室なし 久々に拝読し、改めて多くを学びました。
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【概略】 文明⇔自然という図式は成り立つが、平和⇔戦争という図式は成り立たない。平和≠戦争のない状態、ではなく、戦争は、1つの制度である。戦争は嫌だ、戦争のない世界を、という願いを現実のものとするためには、制度として確固たる位置づけがなされている戦争というものを、理解し、その発...
【概略】 文明⇔自然という図式は成り立つが、平和⇔戦争という図式は成り立たない。平和≠戦争のない状態、ではなく、戦争は、1つの制度である。戦争は嫌だ、戦争のない世界を、という願いを現実のものとするためには、制度として確固たる位置づけがなされている戦争というものを、理解し、その発生に向かう流れを学ぶ必要がある。 「平和主義」を掲げる日本において、とかく忌避されがちな「戦争」という制度について切り込んだ一冊。 2019年4月22日 読了 【書評】 諸事情で「平和」について語る必要があり、その勉強のために読んでみた。 自分も陥りがちなところがあるのが、二項対立ではなく、二者択一になってしまうこと。AとBという二つのものに対して、選択、そして、選択しなかった側を否定してしまう。「平和」に関しての話題だと、対立軸(本書では対立するものではないとある)である「戦争」に関しては、本当に・・・話題に出ない(笑)むしろ、「戦争」について語るだけで、やれ保守だやれ右翼だやれネトウヨだと片付けられる始末(笑) その「戦争」について、国家というレイヤーと、個人というレイヤーとを、重ねてしまうのも、話題として出しづらいのかなとも感じてしまう。「戦争が制度として活用されるのは、わかった。でも、最終的に戦地に赴いて、死ぬのは国民じゃん?」というものである。目をそむけたくなっちゃうのだよね。「被害者の気持ちを考えないのか?!」的な論調だね。実は自分も、平和について語るのに、パーソナルストーリーを織り交ぜようと思っていたのだけど、本書を読んで難しいなぁと感じてる。 国家レイヤーと個人レイヤーを重ねられないのは、「近代国家とはなにか?」という定義を考えると、なるほど、と思う。・・・と、同時に、昨今流行っている「個人の時代(≠個人の自由)」への「誤解」との対立は、今後、激化するだろうなぁとも思う。法治国家=素晴らしい!という側面だけじゃないんだよ、ってことなんだよね。もちろん、素晴らしい、のだよ(矛盾!)。でも、ある部分において、個人の領域にあったものが、国家に委ねられてる(=それが、ヒャッハー!世紀末!という動物的弱肉強食の恐ろしい世界にならないブレーキとなる)分、個人の自由が制限されるというね。本書内の記述に、なるほど、と思った。 もう一点、本書では、多くの日本人がもっている国連への誤解(?)についても触れている。そして、やはり多くの日本人がもっていく国連への期待(?)を通してみる日本人の気質についても触れている。ある意味、感謝すべきことだけど、地理的に島国で、異国の人達に蹂躪されたことのない、そんな背景がある中で育まれた国民性は、よくも悪くも「お上」に対する依存が強い。国連に対する期待も、そう。でも、国連の仕組みを知ると、その感覚、変わるかも。 うーむ・・・読み物としては、めっちゃ面白かったし、近代国家とは?という観点でも凄く勉強になったけど・・・。元々、「なぜ、この本を読んだか?」「平和、というものについて語るために」という私的な目的という点からは・・・むしろ、遠のいてしまった(笑)
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