60歳からヘタれない生き方 の商品レビュー
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60歳からヘタれない生き方 ~人は裸で生まれ、裸で死んでいく 有馬賴底著 2018年1月25日発行 幻冬舎 少しまとめて読んだ有馬賴底老師本、3冊目。すでに読んだ2冊とダブる部分は多いが、ごくごく短くて読みやすいエッセイをたくさん集めた本。爽やかに読めた。 有馬老師は臨済宗相国寺派第七代管長。京都五山第2位の相国寺はもちろん、末社の鹿苑寺(金閣寺)と慈恩寺(銀閣寺)の住職でもある。東京の名士(久留米藩主)・有馬家出身だが、幼い頃に両親が離婚して九州に。小僧から修行して8歳で得度。有馬記念の有馬頼寧の従兄弟の子にあたる。「宗教者九条の和」の呼びかけ人。 (メモ) 宝くじで大金を当てた人がその後の人生を狂わすことは、よく聞く話。強欲になったり、近づいて来る人を疑ったり、家族や親戚とトラブルになったり。宝くじなんか当たらなければよかった、と思うことも。好事こそ落とし穴だと思い、仮にそれがあっても一瞬だけ喜んで、あとはさっさと忘れること。 主人公という言葉は元々禅から出た言葉。唐代に瑞巌(ずいがん)禅師という人は医師の上で坐禅をしたことで有名。坐禅をしながらいつも大声で自問自答。 「おーい、主人公。しっかり目覚めているか?」「はいっ」 「おーい、主人公。人にだまされていないか?」「はいっ」 主人公とは、「本来の自分」という意味。本来の自分でいられるか?本来の自分を見失っていないか?を問うている。 仏教やキリスト教の関係者が中心に結成した「宗教者九条の和」呼びかけ人として、いつもポケット憲法を持ち歩いていて、時間があれば繰り返し読むようにしている。 自分以外のものに頼ったり、寄りかかってはいけない。自分自身をよりどころに生きる。御車間さまの最後の言葉が示す主人公としての生き方。「随処に主と作れば、立処皆真なり」と臨済禅師も語る。 頼るべきものは自分以外にない。その自分に執着してもいけない。「俺が俺が」はだめ、「自分は自分、他人は他人」。 禅語「青山元不動、白雲自ずから去来す」 山は動かないが、雲は自ずとやってきては去って行く。 青山はあなた、白雲は世間の価値や常識、あるいはそれに対するこだわりや思い込み。そうしたものに惑わされず、あなた地震を見つめることができれば、新たな人生を自由自在に生きていくことができる。 自分が一番エラいと思っていないか? 自分が一番ということは、他に二番や三番があるということではない。自分以外は認めないということ。そんな人間同士が道ですれ違ったら争いになるに決まっている。 著者の従伯父(いとこおじ)は、旧久留米藩有馬家第15代当主で、日本中央競馬会の理事長も務めた有馬頼寧。有馬記念の名前の由来。 著者は有馬記念に招待されるが、前評判抜きに、欲を捨て、勘をを研ぎ澄ませて義理で馬券を買う。これが当たる。 丁寧という言葉は、大昔に中国で使われていた金属製の鉦の名前に由来。この鉦を叩いて「注意しろ」「警戒を怠るな」と知らせた。そこから細かいところまで気を配ること、心を込めて念入りに行うことといった意味に。 著者は八代目板東三津五郎から、「別無工夫」の揮毫を頼まれた。なかなか満足のいく字が書けないでいるうち、三津五郎はふぐ中毒で急逝した。どうしてすぐに書かなかったのか、悔やんだ。上手い字を書こうといらぬ工夫をしてしまった。「別無工夫」という字を工夫しながら書いてしまったのだからどうしようもない。以来、この言葉は座右の銘に。 北朝鮮に3回行った。最初のきっかけは、4代将軍・足利義持時代に日本に伝わった「高麗版一切経」のお礼を言うため。ピョンヤン公害の妙香山普賢寺には、4500巻の版木がきちんと整理され、虫もカビもなし。なんと文化と大切にしている国かと感じた。印刷された「高麗版一切経」は、東福寺、建仁寺、相国寺に贈られたと書かれている。日本でもちゃんと守っています、と報告すると、向こうの人も大変喜んでくれた。
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