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遺訓 の商品レビュー

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2022/09/24

幕末から維新を経て、西南戦争に至るまでの庄内藩と薩摩藩の動きの中で、大久保利通と西郷隆盛の心理を絡めて描いたもの。 人間の器量と武士として矜持が分かる。

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2021/07/11

「西郷南洲翁遺訓」が薩摩藩ではなく庄内藩の人によって編纂されたとのこと。その経緯を丹念に綴った好著です。 戊辰の役で薩摩と庄内は対立したものの、会津藩の敗北とともに庄内藩も降伏。激しい戦闘の後だったため、熾烈な裁きがあるかと思いしや、「武士がいったん兜を脱いで降伏したうえは、後...

「西郷南洲翁遺訓」が薩摩藩ではなく庄内藩の人によって編纂されたとのこと。その経緯を丹念に綴った好著です。 戊辰の役で薩摩と庄内は対立したものの、会津藩の敗北とともに庄内藩も降伏。激しい戦闘の後だったため、熾烈な裁きがあるかと思いしや、「武士がいったん兜を脱いで降伏したうえは、後のことはみらんもんでごわす」と、西郷は周囲の反対を押し切って寛大に処置。庄内藩はこのことをずっと恩義に感じていたのだそうです。西南戦争勃発の際、「今こそご恩を」とはやる庄内藩を「ロシアに備えて動くな」と命じたとあり、その大局観には感銘を受けました。こうした流れから、西郷の言葉を拾い集め、「遺訓」ができあがるまでを多くの文献から解き明かしています。 それにしても、敵をここまで惚れさせる西郷という人物は、勝海舟が語ったように本当に凄い人物だったのだと思います。更に、鹿児島に引きこもっていながら、対露戦線を視野に入れていたとは....。「西郷どん」が、後半部分をどう演出するか楽しみになってきました。

Posted byブクログ

2020/05/04

西郷さんと大久保さんの人間の器の違いがよく描かれていて、西南戦争に至るまでの経緯も非常によく分かる。西郷さんが好きな方にはたまらなく面白い作品。

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2018/09/07

佐藤さんはフランス絡みを得意にしているのかと思ったが、何と故郷の鶴岡絡みの日本内戦を描いている~新徴組の沖田芳次郎は市中見回りの庄内藩の藩士と鶴岡に赴き、松ヶ岡開墾場に入ったが、剣客の勘を活かして政府の密偵を見つけることを得意としていた。庄内藩の名を高めたのは、官軍と戦い破れなか...

佐藤さんはフランス絡みを得意にしているのかと思ったが、何と故郷の鶴岡絡みの日本内戦を描いている~新徴組の沖田芳次郎は市中見回りの庄内藩の藩士と鶴岡に赴き、松ヶ岡開墾場に入ったが、剣客の勘を活かして政府の密偵を見つけることを得意としていた。庄内藩の名を高めたのは、官軍と戦い破れなかった鬼玄蕃こと・酒井玄蕃の采配だった。芳次郎は玄蕃の護衛として薩摩に赴く。西郷が新政府に出仕し、官軍も賊軍もないという西郷に誘われて庄内藩士も出仕したが、台湾出兵を巡って江藤を排除したい大久保内務卿の策謀で西郷が鹿児島に下って庄内藩士も鶴岡に戻った。政府の挑発で佐賀県士族が反乱を起こし、これを抑え込もうという江藤新平諸共処断された。玄蕃が北海道開拓使総裁の黒田清隆から依頼されたのは清国との開戦時に採るべき戦略を探ることだった。芳次郎も護衛として天津に入り、通訳の黒谷を通して北京に行くこともできた。天津に戻り、日清の交渉決裂が明らかになり、二個大隊の出動があれば勝てるとの報告を北京に居る大久保に届けるために、馬車を走らせるが、やっと気球で迫る刺客を撃退し任務を果たした。有名人の玄蕃は政府の役人から接待を受け、体調を悪くした。江華島事件後も政府に呼ばれて、朝鮮における戦略を練るために韓国視察団に加えられるかと上京したが、その任は与えられず、接待で体調を崩し、熱海での静養も効果なく死亡した。政府による毒殺ではないか、政府による西郷暗殺計画もあるらしい。庄内から鹿児島の私学校に送られる二名に付いて芳次郎も鹿児島に赴くが、任務は南州先生の護衛だった。西郷は熊本の神風連の乱・福岡の秋月の乱・山口の萩の乱を聴き、自分が鹿児島に居ると鹿児島潰しの標的にされると大隅半島で兎猟に興じていた。護衛から帰ると城跡に姿を見せるなつという士族の娘と言葉を交わすようになっていたが、なつは通訳の黒谷と名乗った東京警視庁の少警部として奉職している中原尚雄の妹だった。中原は西郷探索を隠さない。鹿児島で私学校生徒による弾薬強奪事件が起き、妹のなつと懇ろになった翌朝、中原兄の姿は見えず、慌てて大隅に駆けつけて鹿児島へ西郷を連れ帰る最中、山から気球が現れ、襲撃された。暗殺は失敗に終わらせたが、気球は中原の実家近くで見つかり、鬼玄蕃を天津・北京館で襲撃したのも黒谷こと中原だと判明した。呼び出された中原は妹のなつを盾として使い、芳次郎を勧誘したが、暴発した銃でなつは撃たれ、三度の突きで中原の腕を使えなくした。薩軍に担がれた西郷と共に戦った芳次郎は田原坂で脇腹を撃たれ、巡査の服を着て陸軍病院に収容されて治療を受けたのは、かつて新撰組で隊長を務めた齋藤一の計らいだった。包囲された鶴ヶ城で突撃を繰り返した西郷は腹を撃たれて死亡した。東京に戻った芳次郎は、兄を殺された恨みを持つ貿易商の江藤の弟を大久保に見せつけて、参内のルートを変えさせ、大久保に恨みを持つ石川県士族を焚き付けて大久保暗殺を成功させたのだ。西郷から庄内は立つなと諭された庄内は、山形県庁に旧式化しつつある武器の買い上げを認めさせ、暴挙を止めたのだった~庄内の武士は無敗のまま生き延びたが、それは西郷南州先生の言伝が効いたからだってのがテーマかな? いつものフランスものから日本の明治初年ものでは違和感が否めなかったが、書き方は「フランス革命」と変わらず、種明かしは次章でやるというスタイル。フランス革命では、ああなるほど・フランス人はこう考えてこう行動するかと納得したが、日本人を対象にすると本当かよ?と小さな疑問符が浮いてくるね。特に、中原絡みの気球使用の追跡劇とか、酒井玄蕃の砒素による毒殺とか、大久保と西郷の確執とか、大久保暗殺の手口とか、江藤の弟とか、沖田の剣の腕前や勘の良さとか…諸々。すると、フランス絡みの奴も嘘っぽくなっちゃう。まあ佐藤さんの想像力・妄想力は尋常じゃなくて、真に迫るものがあるからだろうけど。この本では、参考文献が沢山並べられていて小説を書くために本を沢山読むのだなぁと感心させられた。あの林なんとかというブスの作家よりも、こっちの方がスリリングでドラマチックで大河ドラマぽかったのではないだろうか。でも終わりが明治10年じゃだめかぁ、維新150年記念だったからねぇ、残念

Posted byブクログ

2018/05/12

新撰組の沖田総司の甥の沖田芳次郎は剣の腕を見込まれ、戊辰の役で「鬼玄蕃」と恐れられた旧庄内藩の家老酒井玄蕃の護衛として清国に赴く。玄蕃亡きあと、西郷隆盛の警護を命じられ、西南戦争を生き抜いたひとりの男の武士魂を描いた作品。

Posted byブクログ

2019/03/15
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

沖田総司の甥の視点からの西南戦争。 沖田総司の義兄の林太郎が主人公の「新徴組」の続編ですが、史実に沿っているようで大胆に脚色されていますね。 主な視点は林太郎の息子の芳次郎で、中国や薩摩で大活躍します。 大久保のダークサイドが前面に出ていて、江藤はともかく, 酒井玄蕃や西郷の暗殺に至っては、風説が事実としたストーリー展開で、さもありなんと思わせます。 想定外の人物は中原尚雄で、その設定は時代小説と思わせるほど意表を突く活躍でした。 とはいえ、西南戦争における旧庄内藩の立場は自分も知らなかったので勉強になりました。 残念なのは西欧歴史小説ではキャラクター付けに役立つ方言が、日本が舞台だと読みにくいのと、同じ地方の人物の差別ができにくかったところです。

Posted byブクログ