疾風怒濤精神分析入門 の商品レビュー
兎角難解なラカンの理論をわかりやすく説明した良書。精神分析用語を日本語訳にすると、その本来の日本語とは違う意味を持つので、頭の中で翻訳する必要がある。その上に、同じ精神分析と言っても、ラカンは毛色が違うので、用語の理解は必要である。そのため「想像界・象徴界・現実界」「鏡像段階」「...
兎角難解なラカンの理論をわかりやすく説明した良書。精神分析用語を日本語訳にすると、その本来の日本語とは違う意味を持つので、頭の中で翻訳する必要がある。その上に、同じ精神分析と言っても、ラカンは毛色が違うので、用語の理解は必要である。そのため「想像界・象徴界・現実界」「鏡像段階」「対象a」など、ラカン特有の用語についてもわかりやすく解説されていた。エディプス。コンプレックスを始めとして精神分析的発達論は男性の発達論を下敷きにして描かれており、女性の発達論は男性から見た発達論であり、ジェンダー理論が進展している現代においては、今後書き換えられる可能性もあるかもしれない。
Posted by
オススメされて&タイトルに惹かれて読了。 心理学の授業で治療法の一つとして自由連想法がサラッとだけ取り上げられていた内容だったので元から少し興味はあったのでこのタイミングで手に取れたのはよかったかなと思う。 読みはじめてすぐに患者や病気に対するスタンスの特異性に驚かされた。心理学...
オススメされて&タイトルに惹かれて読了。 心理学の授業で治療法の一つとして自由連想法がサラッとだけ取り上げられていた内容だったので元から少し興味はあったのでこのタイミングで手に取れたのはよかったかなと思う。 読みはじめてすぐに患者や病気に対するスタンスの特異性に驚かされた。心理学の授業で取り上げられたにも関わらず、心理学の「クライエントに寄り添う」という対応とは全く異なり殆ど「カウンセリングを受けた人次第」のような対応で未知の何かと遭遇したような気分だった。しかし、内容を深く読んでみると疑問に思うところは多少あれど筋が通っていて理解出来るし面白いと思った。 入門書ということもあり、おそらく端折られている部分や説明されていない部分も多いだろうから参考文献欄に書かれていたものも読んでより理解を深めたい。
Posted by
すばらしいです。ラカンの入門書としてはこれ以上ないくらいです 向井さんの入門書が難しいと感じたので、こちらから読みました おすすめしてくれた知人に感謝します 特に印象に残ったことの一つは、夢をその見たイメージではなく言葉遊びともとれるようなシニフィアンから分析する態度です ふつ...
すばらしいです。ラカンの入門書としてはこれ以上ないくらいです 向井さんの入門書が難しいと感じたので、こちらから読みました おすすめしてくれた知人に感謝します 特に印象に残ったことの一つは、夢をその見たイメージではなく言葉遊びともとれるようなシニフィアンから分析する態度です ふつう夢は見たままの印象から意味を推察することで語られることが多いと思いますが、イメージよりもむしろ言葉のほうが本質だというのは新しい視点でした まあ個人の実感としてはよほど象徴的な夢でない限り、イメージにもちゃんと意味があるとは思います でもたまになんだこの夢って夢も見るので参考にしようと思います
Posted by
本当にわかる。ラカンがわかるなんて。 それ以上に人生にインパクトがある。 一歩困難な方へ歩める。力作。
Posted by
読みやすい文体で書かれており、ラカンの精神分析に親しむ入り口としてとても入りやすかった。それでもわかりづらい箇所はいくらかあったので、他の本も読んでみたいと思う。
Posted by
精神分析とは一体何なのか?何が特徴的なのか?他とどう違うのか?ということをくっきり認識できるだけでなく、ラカンのロジックにざっくり触れてもらえることで精神分析がなぜその手法をとるのか、なぜ自分の生き辛さが発生するのか等考えることができる良書だった。話の筋が追いやすく、分かりやすく...
精神分析とは一体何なのか?何が特徴的なのか?他とどう違うのか?ということをくっきり認識できるだけでなく、ラカンのロジックにざっくり触れてもらえることで精神分析がなぜその手法をとるのか、なぜ自分の生き辛さが発生するのか等考えることができる良書だった。話の筋が追いやすく、分かりやすく、しっかりと導いてくれる感があって大変読みやすかった。勿論ラカンの理論が完全に正解で、ここで述べられていることが全て正しくて、ここに書かれていることをベースに人生が全て理解できる、ということではないだろうが、それでも自分の人生や、自分のどうしようもない生きた軌跡や行為に対して、ひとつの見方をもたらし、同時に他人の生に関しても新たな見方をもたらしてくれるという点で大変価値のある本だったと思う。
Posted by
千葉さんの現代思想入門を読んだことがこの本を読むきっかけであった。この本に書かれている内容だけでも到底理解したとは言い難いが、これまで読んできた本の中に散りばめられた背景の理論を垣間見た気がした。 ここから結びつけていきたいが、あまりわかった気にならないように心がけることだけは誓...
千葉さんの現代思想入門を読んだことがこの本を読むきっかけであった。この本に書かれている内容だけでも到底理解したとは言い難いが、これまで読んできた本の中に散りばめられた背景の理論を垣間見た気がした。 ここから結びつけていきたいが、あまりわかった気にならないように心がけることだけは誓いとしたい。
Posted by
とかく難解と言われるラカンの理論を前期ラカン中心に述べているが、著者が精神分析を実際に受けていることもあり、思想家としてのラカンよりも臨床家としてのラカンを意識して描かれている。 ラカン派のポイントは「世界の認識の仕方」と「人間の理解の仕方」にあると感じた。前者については想像界...
とかく難解と言われるラカンの理論を前期ラカン中心に述べているが、著者が精神分析を実際に受けていることもあり、思想家としてのラカンよりも臨床家としてのラカンを意識して描かれている。 ラカン派のポイントは「世界の認識の仕方」と「人間の理解の仕方」にあると感じた。前者については想像界、象徴界、現実界の理解に収斂しており、現代思想にある程度親しみがあれば比較的理解しやすいと感じた。 問題は後者である。一朝一夕で理解できるものでないのは当然だが、非常に難解である。一つには、本書で解説されるエディプス・コンプレックスが60年代までのもので、なにぶん古いこともあるだろう。とはいえこれ以上易しい解説もないだろう。永井均が『ウィトゲンシュタイン入門』で述べていたように、難しいもののレベルを落として説明することは無理なのである。
Posted by
わかりやすくて大変良書だと思った。向井雅明の「ラカン入門」を途中まで読んで、これもまったく素晴らしい良著だと思ったが、途中でこちらにスライドして読み終えて戻ろうと思ったら大正解だった。なにより、著者が精神分析に対して誠実なことが文章の端々から滲み出ているところが信頼できた。一番初...
わかりやすくて大変良書だと思った。向井雅明の「ラカン入門」を途中まで読んで、これもまったく素晴らしい良著だと思ったが、途中でこちらにスライドして読み終えて戻ろうと思ったら大正解だった。なにより、著者が精神分析に対して誠実なことが文章の端々から滲み出ているところが信頼できた。一番初めにまずこれを読めばよかったのだけれど、ある思想をインストールするにはきっと理論そのものよりも「今の自分の何かにこの思想がきっと応えてくれる」という確信がまず必要で、その確信があるからこそ理論を丹念に読んでいこうという気持ちになれるので、そういう意味でいくと最初の出会いの本ではないのかもしれないのだけれど。
Posted by
「健康な精神などというものは無い」ことを前提に 本来的な「主体」を見つけ、知り、受容し ある種の居直りを身につけること それを助け、人を生きやすくするのが精神分析である しかし実際にやるとなるとなかなか簡単なことではない 「健康な精神などというものは無い」という前提を 疑うつもり...
「健康な精神などというものは無い」ことを前提に 本来的な「主体」を見つけ、知り、受容し ある種の居直りを身につけること それを助け、人を生きやすくするのが精神分析である しかし実際にやるとなるとなかなか簡単なことではない 「健康な精神などというものは無い」という前提を 疑うつもりはないけれど それが一般社会の常識に逆行しているのは確かなことだし また自分自身に居直る態度も 周囲から「生意気」のレッテルを貼られる原因になりがちで だから精神分析による一種の悟りを得たとしても 結局、社会との軋轢に直面し 孤立してしまうことはあるわけだ それでまあ、かえって何かへの依存を深めてしまうことも たぶんよくある話なんじゃないかと思う しかしながら、投薬に頼る治療法が 個人的に抱えた問題を棚上げにしてしまいがちなのも やはり事実なんだろうし それが例えば向精神薬依存にまで至る可能性もまた 否定できないだろう 度し難い 依存も捉え方によっちゃロマンチックだけどね この本の表紙イラストみたいに 美しいメンヘラの二律背反みたいな幻想はあっていい と思うんですが だがもしも幻想と現実が齟齬をおこしてしまったならば それは悲劇である そうならないためにもまずこれはむしろ 幼児発達メカニズムを軸とした、一般論的な世界観の あくまで一例として 精神的距離を置きつつ学ぶのがいいんじゃないだろうか とはいえ正直に言うと 実感に比較して納得のいかない部分はかなりある 無意識に沈むのはシニフィアンではなく 耐え難い恐怖や 忘れ難い享楽の瞬間におけるイメージではないか、など 思ってしまうわけだ しかしそういう持論にこだわりすぎるのもやはり依存なのだろう 依存というのはつまるところ、母に抱かれた胎児の心だけを つまり無謬の全能感だけを健康な精神とみなす幻想であろうから それに気づいたとき 人ははじめて己の足でこの現実を歩みはじめるのかもしれない ところが依存を脱するべく去勢を繰り返すなかで 人間は鏡の中の自分を認識できなくなり かえって無謬の錯覚を強めていくのではないかとも 思えてならないのは やはり度し難いことである だから僕はもう なるようになれ、としか言えません
Posted by
- 1
- 2