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形式化された音楽 の商品レビュー

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2024/02/24

前半は数学を用いた作曲の実践例で,マルコフ連鎖・ゲーム理論・群論・論理学・プログラミングなどを曲に落とし込んでいる。後半は音楽の歴史に踏み込み,新たな作曲を提案する。

Posted byブクログ

2017/11/05

『音楽と建築』の邦訳復刊に続いて、新たにクセナキスの「理論的主著」とされる本訳書の刊行ということで、高価ながらやはり購入して読んでみた。  確かに難解な高等数学(関数、集合、確率等)を駆使して比較的初期作品における音の選択の実践過程が示されており、私もそうだが数学が苦手な人間には...

『音楽と建築』の邦訳復刊に続いて、新たにクセナキスの「理論的主著」とされる本訳書の刊行ということで、高価ながらやはり購入して読んでみた。  確かに難解な高等数学(関数、集合、確率等)を駆使して比較的初期作品における音の選択の実践過程が示されており、私もそうだが数学が苦手な人間にはちょっときつい。しかし『音楽と建築』をあらかじめ読んでおれば、そのあらましは理解できなくはない。  というか、結構面白かったのである。  私が『音楽と建築』で読み取ったことが、ここでも確認されたと思っている。 http://booklog.jp/users/ntsignes/archives/1/4309276180  クセナキスは、単に数理を用いて奇抜な音楽を書いたというわけではない。もし、純粋に数理(推計学的計算)だけで作曲したいなら、しっかりプログラムしたコンピュータ・ソフトウェアに任せていくらでも作ることが可能なはずだ。そうして得られた「ロボット作曲」は確かに新奇だろうが、クセナキスの音楽のような圧倒的感銘を与えることはないだろう。その辺を勘違いしている人がいるかもしれない。  クセナキスは計算を用いながらも、審美的な選択・決定を決して手放してはいないし、全体の構想も彼の音楽的想像力によってえがかれていることは確かだ。  一方では、クセナキスの最初のオケ作品を聴いて衝撃を受けた人々が、トーンクラスターを使って表現主義的な音楽を書いたそうだが、もちろん、そうした表現主義とも、クセナキスの音楽は異なっている。  私は本書を読んでいて「まさにフランツ・カフカだ」と思った。  カフカの小説では、ちょっと考え方や感じ方が常人離れしていて感情移入を拒絶するような主人公が、さらに不条理な世界システムによって、死刑宣告を受けたり、門前払いをくらったりする。そのうえ文章自体が淡々としており、あらゆる感情移入をさらに拒み、異常さを正常さとして粛々と記述される。  カフカは「君と世界との戦いでは、世界のほうに加担せよ」と言ったらしい。これはカフカ的世界観が、つねに、自己=主体を隔絶した他者たちの波動のなかに放り込み、自己の自己性を滅し続け、冷たい砂漠にみずから沈んでいくかのようなスタイルによって支えられていることを示している。  ここで肝心なのは、「自己」が否定されつつも存続しており、悲劇性を抜き取った悲劇を淡々と生きているというその状況が、読者に衝撃をもたらしているという点だ。  クセナキスも、審美眼を維持することによって音楽的感性を持続するのだが、数理的錬金術によって生まれてくる音の群れは、音楽的常識からかけ離れたような新しさと、(自己に対する)冷たさをもっている。  クセナキスは表現主義に陥るでもなく、この数理システムという(音楽的には)不条理な構造にとことん突き進むのである。  推計学によって編み出された音群は、人間が想像力だけではえがくことができないような、予想外のものをもたらす。一方、「ロボット作曲」とはちがって、彼の音楽には、彼自身が存在している。つまり、放棄されたわけではないが不条理のなかにとびこみ、冷たい砂漠に沈み行こうとする「自己」の印象が最後まであって、こうした自己-他者-世界構造が、カフカの小説のように、人々に衝撃と感動をもたらすのである。  従って、クセナキスを模倣するためにここに記されたような数理処理を真似してみても意味はなく、そのすさまじい試練を自らに課した人間の壮絶さに、学ばなければならないのだ。

Posted byブクログ