ブッダが教える 執着の捨て方 の商品レビュー
執着を捨て去りたくて、図書館で借りました。 この本で言う「執着」とは、一般的に言う執着よりもっと大きな意味で、 (1)欲(五欲)への執着 (2)見解への執着 (3)儀式・儀礼への執着 (4)我論への執着 の4種類がある。 私には難しくて分からなかったこともたくさんあるのだけど、...
執着を捨て去りたくて、図書館で借りました。 この本で言う「執着」とは、一般的に言う執着よりもっと大きな意味で、 (1)欲(五欲)への執着 (2)見解への執着 (3)儀式・儀礼への執着 (4)我論への執着 の4種類がある。 私には難しくて分からなかったこともたくさんあるのだけど、私なりに思ったことは(間違ってるかも知れんけど)、 そもそも世の中の物ごとは全て常に変化しているということを理解して、ただ今ある物ごとを愛せばいい。 大きな苦しみや悲しみが起こった場合、「これは自分の管轄外だ」と理解する。
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なんとなく興味のある上座仏教の本。 自分や神の存在をないものとしている点で、ほかの宗教と異なっている。 ブッダの教えは驚くほど科学的で、頭に内容がすっと入ってきた。どちらかというと宗教というよりも、生きやすさを科学的に考え抜いてたどり着いた考えという印象。 ただ最終章の「我論...
なんとなく興味のある上座仏教の本。 自分や神の存在をないものとしている点で、ほかの宗教と異なっている。 ブッダの教えは驚くほど科学的で、頭に内容がすっと入ってきた。どちらかというと宗教というよりも、生きやすさを科学的に考え抜いてたどり着いた考えという印象。 ただ最終章の「我論への執着」の部分は、唯一あまり理解できなかった。僕の悟りが足りないんでしょう。
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執着は4種 ①五欲への執着 ②見解への執着 ③儀式、儀礼への執着 ④我論への執着 生きることは、捨てながら進むこと 感じると、もっと満たされたくなる。 美味しいものを食べると、もっと美味しいもの、また食べたいとなる。満たされても、また満たしたくなる。 もっともっとを止めると執着...
執着は4種 ①五欲への執着 ②見解への執着 ③儀式、儀礼への執着 ④我論への執着 生きることは、捨てながら進むこと 感じると、もっと満たされたくなる。 美味しいものを食べると、もっと美味しいもの、また食べたいとなる。満たされても、また満たしたくなる。 もっともっとを止めると執着も止まる。 感情を手放して自由になる。どうということもない瞬間の連続が人生
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スマナサーラ先生は仏教の長老だけど、 宗教家というより哲学者なんだろうか。 仏教は宗教なんだろうか。 執着=束縛だから、心の自由がなくなる。 一切の苦しみは全て自我の錯覚がつくるのだから、 自我は悪魔なのか。 自我は私。でも「私」は脳が作り出す錯覚。 自我が錯覚だと知れという...
スマナサーラ先生は仏教の長老だけど、 宗教家というより哲学者なんだろうか。 仏教は宗教なんだろうか。 執着=束縛だから、心の自由がなくなる。 一切の苦しみは全て自我の錯覚がつくるのだから、 自我は悪魔なのか。 自我は私。でも「私」は脳が作り出す錯覚。 自我が錯覚だと知れという。 すごくおもしろいと思うけど、 面白がっていいんだろうか。 錯覚だと本当に理解できれば、 解脱の域に達するのかな? というか、俺は解脱したいのかな? もっと勉強が必要だ。 慈悲の瞑想はほんとに気持ちがいい。 みなさんが幸せでありますように。
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・自分を苦しめていることの一つが、自分の意見に拘る自尊心であるということに気がつくと、自分の意見と他者の意見の違いに拘ることがなくなります。 悩みごとというのは、すべて「執着」から生まれてくる。心の中にどうしても手放したくない「欲」があるから。自分でもまったく気がついていない...
・自分を苦しめていることの一つが、自分の意見に拘る自尊心であるということに気がつくと、自分の意見と他者の意見の違いに拘ることがなくなります。 悩みごとというのは、すべて「執着」から生まれてくる。心の中にどうしても手放したくない「欲」があるから。自分でもまったく気がついていない執着もたくさんある。必要のない物まで買い込んだり、捨てられなかったりするのは、物に執着しているから… 本書では、欲、自分の意見、習慣、自分はいる、という四種類の執着をすべて手放すことをめざすそうです。 「あなたが必死にしがみついているものは何ですか?社会的地位ですか?お金ですか?家族ですか?それとも、仕事でしょうか?世間からの称賛でしょうか?若さでしょうか?」 私は、もうそんなものを、とっくに諦めたつもりでしたけど、自分の考え、自分に対する愛着も「欲」であるとするならば、年々しがみつく強さが増しているような気がします。 「いかなる悩み苦しみであっても、不平不満であっても、愚痴であっても、私(自我)があるから起こるのです」と言われてしまうと、「仰る通りだと思います」と言わざるを得ません。さて、どうやって捨てる? この歳になって、お釈迦様の教えを知り、自分を苦しめているのが、自分の煩悩であるということを認めることができました。そして、煩悩を叶えようとすることよりも、煩悩を客観的に見詰めるという方法が、心を静めるために、有効であると分かりました。
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大変面白かった。 悩みからの解放というテーマにおいて非常に画期的な本だと思う。 この本の内容は仏教の一部だと思うが、 仏教の見方が全く変わった。他の宗教と同じで宗教の中のひとつだとしか思っていなかった。 仏教は、ブッダは“自分”を徹底的に調べ、科学によって真理に近づいたんだなと知った。 執着の捨て方の本だと思って読んでいたのに ずっと疑問として持ち続けてきた『自意識、自我とはどこからきて、いつか消滅するのか?』という問いの (仏教による)答えが書いてあり、驚いた。 最新の脳科学によると自我は脳による創発特性であるとのこと。 ないものは捨てようがないというのも納得した。 この本の通りには出来ないが、そうだと知っていることで大分楽になる気がする。 そしてこの内容をすべて鵜呑みにすることもないと思った。 祈りは執着のひとつであると言っていても 科学的な効果の証明は今日では出てきているし 霊的なもの、超自然的なものの存在も ないとは言えないと思っている。ないものをあると錯覚したとしてもそれはそれで正しいと思えるものがある。 それにしても面白かった。この分量の本としては史上最速で読み終えたと思う。 渇愛から執着しないように 必要以上には求めない。 そこにあるものはそのままにしておきたい と思う。
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