ヨコハマメリー の商品レビュー
今は商業地として反映しているヨコハマにかつてメリーさんという娼婦がいた 私も何度か遭遇して驚いた事がある そんなメリーさんを受け入れたヨコハマが世代が変わりメリーさんを排除する街になっていく 晩年娼婦としての商売はニーズがなくなりGMビルのエレベーターガールとしてチップをもらいな...
今は商業地として反映しているヨコハマにかつてメリーさんという娼婦がいた 私も何度か遭遇して驚いた事がある そんなメリーさんを受け入れたヨコハマが世代が変わりメリーさんを排除する街になっていく 晩年娼婦としての商売はニーズがなくなりGMビルのエレベーターガールとしてチップをもらいながらの生活はどれだけのものだったのだろう 胸が痛くなる 最後は弟さんが老人ホームに入れるなど穏やかな人生の終焉だったことにホッとする
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今でこそ東京から近い観光地で、おしゃれなデートスポットでも ある横浜。でも、私が10代の頃は違った。横浜に長く住んでいた 友人の体験ほどではないが、そこそこに猥雑な街でもあった。 この友人と歩いていた時に一度だけ見掛けたことがあるのがメリー さんだった。真っ白に塗った顔...
今でこそ東京から近い観光地で、おしゃれなデートスポットでも ある横浜。でも、私が10代の頃は違った。横浜に長く住んでいた 友人の体験ほどではないが、そこそこに猥雑な街でもあった。 この友人と歩いていた時に一度だけ見掛けたことがあるのがメリー さんだった。真っ白に塗った顔に白のドレス。私はきっとぎょっと した顔をしていたのだろう。 「あれがメリーさん。恐くないよ。昔からこの街にいるおばあちゃん だから」 メリーさんがいる風景。友人には日常のものだった。そのメリーさん を題材にした映画の監督をしたのが本書の著者である。著者がメリー さんの映画を撮りたいと思った時には、既に横浜からメリーさんの 姿は消えていたのだが。 対象不在のドキュメンタリーという手法がある。メリーさんに係わっ た人たちのインタビューを中心に据え、メリーさんのいた横浜を、 それぞれのメリーさん像を描く。 生憎と映画は見逃してしまったのだが、本書はメリーさんの映画が出来 るまでのドキュメンタリーでもあり、幕末からの横浜裏面史にもなって いる。 自分の体を資本にしなければならなかった女性たち。メリーさんもそん な女性のひとり。時代の変化と共に彼女たちは商売から足を洗って行く のに、メリーさんは老いても娼婦として横浜の街と共にそこにいた。 でも、街は変わる。横浜もみなとみらい地区などの再開発が進み、 戦後の猥雑さは薄れて行った。だから、メリーさんが姿を消したの も必然だったのかもしれない。 住む家もなく、街を歩くメリーさんに暖かく接した人たちがいた。 その人たちだって世代交代する。徐々に出入り禁止になるビルが増え、 メリーさんの居場所も限られて来たのだろう。 メリーさんが横浜からいなくなったきっかけ、その後のメリーさんの 消息については本書でつまびらかにされているのだが、街が包み込んで いた人を、街が追い出す。そんなタイミングでメリーさんは姿を消した のではないだろうか。 そして、本書に登場するメリーさんを知り、係わった人たちの心遣い が胸を打つと同時に、迷いながらもメリーさんの足跡を追う著者の 優しさが行間から伝わって来る。 外国人専門、それも相手にするのは将校のみ。気位の高い娼婦だった というメリーさん。帰国したひとりの将校を待ち続け、横浜に居続け たとの説もある。私はこの説を信じたい。 メリーさんがいた横浜は、もうあの頃の横浜ではない。今の横浜に メリーさんの居場所はないのかもしれない。それでも、ひとりの 老娼婦がいたとの記憶を記録した本書は貴重だと思う。 戦後、メリーさんのような女性は多くいたのだよね。ひとりの老娼婦 の向こう側には何人もの「メリーさん」がいたのだろう。
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その時代であったからこそ 生れ出た人がいる その時代のその町であったからこそ 人々の記憶に鮮明に残った人がいる その時代のその町のその人たちがいたからこそ その時代の雰囲気を伝えることができる 一人の伝説上の娼婦の足取りを追うことによって 戦後の混乱期の場末の記憶が 浮かび上が...
その時代であったからこそ 生れ出た人がいる その時代のその町であったからこそ 人々の記憶に鮮明に残った人がいる その時代のその町のその人たちがいたからこそ その時代の雰囲気を伝えることができる 一人の伝説上の娼婦の足取りを追うことによって 戦後の混乱期の場末の記憶が 浮かび上がってくる 丁寧な取材と粘り強い思いに裏打ちされた 戦後史の大きな事実の一つがここにある
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