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2020/05/13

1206年にチンギス・カンがモンゴル帝国を建設し、1250年にマムルーク朝が誕生すると、チンギス・カンとその後継者たちは軍備の傘を広げて治安を保ち、経済はマムルークに任せることを基本的な政策とした。この組み合わせによって、世界循環交易網が創出された。 14世紀、マラッカ海峡で海...

1206年にチンギス・カンがモンゴル帝国を建設し、1250年にマムルーク朝が誕生すると、チンギス・カンとその後継者たちは軍備の傘を広げて治安を保ち、経済はマムルークに任せることを基本的な政策とした。この組み合わせによって、世界循環交易網が創出された。 14世紀、マラッカ海峡で海賊活動をしていた海民がマラッカに港や宿泊施設を作った。あわせて、海軍を作って通行税を取り、航行の安全を保障するようになった。後に、スマトラ北部のパセーの協力を求めて、イスラム化した。1511年にポルトガル人によってマラッカ王国が破壊されると、人々はジョホールに移って王国を築いたほか、アチェ、バンテン、デマック、ブルネイなどのイスラーム王国のネットワークが広がった。 春秋戦国時代に呉が越に滅ぼされたが、彼らは水田稲作、金属器生産、養蚕、機織、造船、陶器製造などの技術を持った人々であった。彼らは志賀島に入ってきて、奴国をつくったという説もある。 出雲や吉備の山地帯には、磁鉄鉱系花崗岩が分布する。弥生後期に、朝鮮半島から技術者が来て、この山砂鉄を利用して鉄生産が始まった。 近江盆地の南部や奈良盆地は、領家帯の花崗岩の山に囲まれた盆地で、水が豊富な無数の扇状地や三角州は理想的な稲作地となった。淡路島を中心とした播磨灘、大阪湾、紀伊水道、伊勢湾、遠州灘は、稲作祭祀のための祭器として銅鐸が広がった。 4世紀後半の応神天皇の代に、秦氏の祖と言われている弓月君が百済から帰化し、120県の民を招来したと日本書紀にある。

Posted byブクログ