ムッソリーニ の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
梶原一騎伝、大山倍達伝、毛沢東伝みたいな読み味で、著者がムッソリーニ激推し早口オタクであることがよく伝わってくる。 その熱量に引き気味の読者としては、割り引いて読む必要があるかもしれないと思うことを禁じ得ない。 イタリアのこともヘタリアのこともたいして知らないので主語が大きくならないよう気をつけたいのだが、イタリアがヘタリアと呼ばれる理由が本書から察せられた。さあ戦争だと宣戦布告したら軍備が整ってませんでした、とか。こういうのをヘタレというのか下手というのか。 昨今、読めば読むほど不勉強を自覚する。今は特にテーマを持たずに読み散らかしているが、今後は漠然と国民国家の成立あたりをテーマにしようか。
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ヒトラーと並んで独裁者とみなされるムッソリーニ。たしかに暴力行使を肯定したり、近隣諸国に対外戦争を仕掛けたり、さらにイタリア降伏後もイタリア北部に亡命して抵抗したりなどイタリア内外に混乱を招いたが、本書では、これらの面もひっくるめてムッソリーニを多角的な視点で見ていく。 ムッ...
ヒトラーと並んで独裁者とみなされるムッソリーニ。たしかに暴力行使を肯定したり、近隣諸国に対外戦争を仕掛けたり、さらにイタリア降伏後もイタリア北部に亡命して抵抗したりなどイタリア内外に混乱を招いたが、本書では、これらの面もひっくるめてムッソリーニを多角的な視点で見ていく。 ムッソリーニといえば、「ファシズム」が有名であるが、これが必ずしも独裁政治に表すわけではなかった。ムッソリーニにとって、ファシズムとは資本主義や社会主義と異なる第三の道の体制だと考えた。特に顕著なのが世界恐慌時の対処法である。1933年に産業復興公社を設立したが、これは市場体制における国家による本格的な介入を世界で初めて実施したのだという。これは第二次世界大戦後、多くの西ヨーロッパで混合経済として導入された体制であり、ムッソリーニはいち早く従来と異なる手法で対処したのである。 また大衆に対する教育も功績の一つである。ヒトラーのように大衆を見下して煽動されたのと異なり、ムッソリーニは大衆を知的にも精神的にも向上させるために教育制度を充実させ、国民を包括して調和した社会を作ろうと考えていた。そのため、ナチズムのようにアーリア人優位の社会とは明確に異なる。
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どうしてもヒトラー の添え物として扱われがちなムッソリーニの生涯を丁寧に語る。変遷した思想、変わらなかった民族への思い、優柔不断な一面。 もしもドイツと組んでいなければ、資本主義・社会主義に対抗する第三軸として大活躍したのでは、と妄想。
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ナチス/ヒトラーのことばかり色々聞かされるが、同時期のイタリアのファシズムについては、実はよく知らない。中学校の時に「ファシズム」という言葉を教えられたが、漠然と「何か悪いコトらしい」というイメージしか無く、その実像は学ぶことがなかった。 今では、「ファシズム」「ファシスト」...
ナチス/ヒトラーのことばかり色々聞かされるが、同時期のイタリアのファシズムについては、実はよく知らない。中学校の時に「ファシズム」という言葉を教えられたが、漠然と「何か悪いコトらしい」というイメージしか無く、その実像は学ぶことがなかった。 今では、「ファシズム」「ファシスト」という言葉は、イタリアのそれを超えて広く「強権的な独裁主義」くらいに捉えられて、意味も不明確なまま世間で濫用されている。 イタリアのファシズムについて詳しく知りたかったが、本書はムッソリーニの伝記である。日本に30年暮らしたイタリア人が、日本語で書いた本だ。 本書を読むと、ムッソリーニはそんなに「悪いヒト」ではない。全般に冷静な判断ができる人物で、ヒトラーなどとは全く違う。ファシズム運動はマッチョな愛国運動だが、人種差別の意図は無かったし、政権を勝ち取る前段階で殺人などもあったようだが、どうもナチスほど残虐とは言えず、ファシズムなるものは実に微妙であり、定義しにくいものであるようだ。 ムッソリーニを非常に尊敬していたらしいヒトラーは、本書を読んでみると、どうもムッソリーニの真似をしていた面もあったようだ。 本書には、細君がありながらも情欲旺盛な、ムッソリーニのドン・ジョヴァンニ的相貌の一面を強調しているが、読む限り、ムッソリーニはまさに男根的存在である。この男根性が、イタリアを強固な統一体としてまとめあげ、その点が多くの大衆を熱狂させたのだろう。そしてその意志は戦争(大戦)へと流れ込む。 「戦争のみがあらゆる人類の精力を緊張の極度に達せしめ、これに対抗する力のある国民に尊貴の印を捺すのである。すべてのその他の試練は代用物であって、生か死か何れという中に於いて、人間を自己自身に面せしめないのである。」(P272、村松正俊訳『ファシズモの原理』からの引用) ちょっと「戦争は魂の最高の宗教的行事」だのと妙なことを言っていた、我が国の前防衛大臣と似た言葉ではある。 ムッソリーニ自身はもとはマルクス系社会主義者であったのだが、やがて社会主義・共産主義とは完全に袂を分かち、当時の「保守」に対すると同様に反発するようになる。右でも左でもなければ「中道」なのかというと、全然そうではない。それはむしろ「新たな右翼」に近いだろう。 また、ムッソリーニは「武士道」を尊敬した親日家でもあった。特攻隊のようなものも、彼は誉めていたらしい。 この難しく微妙な「ファシズム」、ムッソリーニの人物像は複雑であり、ストラヴィンスキーなども尊敬をあらわにしていたそうで、やはり本書だけでは実態を掴みきれないように思う。 これとは別の文献で、イタリアファシズムの詳細を学んでみたいと思っている。
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