ありがとう、うちを見つけてくれて 「この世界の片隅に」公式ファンブック の商品レビュー
この漫画と映画が好きな気持ちが伝わってくるファンブック。 今もすずさんたちはみんなの中に生きている。
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柳下とかの蘊蓄評論がクソなのに比べて漫画家勢ののそれぞれに愛情を込め、かつ個性的なメッセージがあまねく素晴らしい。原作はマンガだし、主人公は絵を描き、かつ描くこと能わなくなることが軸になるため、感情の入り方が違うのは当然かもしれない。もしくは漫画業界や、出版業界は、作家性のイノセ...
柳下とかの蘊蓄評論がクソなのに比べて漫画家勢ののそれぞれに愛情を込め、かつ個性的なメッセージがあまねく素晴らしい。原作はマンガだし、主人公は絵を描き、かつ描くこと能わなくなることが軸になるため、感情の入り方が違うのは当然かもしれない。もしくは漫画業界や、出版業界は、作家性のイノセントを尊重し、守ることこそ仕事の中軸に置いてきた結果なのだろうか。柳下などはバイアスと自己認知欲にまみれた結果、作品に対するリテラシーが故障してしまったともいえるか?いや単に柳下穀一郎評のみが嫌いなだけなのだな。あれじゃ何にも伝わらん。
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漫画、文章、それぞれの人のこの作品への思いが伝わって、よい。また映画を観た気になり、実際に観たくなった。原作も読まねば。 玉音放送によって流れた番組の話が、興味深かった。
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素晴らしい作品だということはその通りだし、クラウドファンディングの資金集めから口コミでロングランという展開もいい。でもその盛り上がり方にはずっと釈然としない違和感を持っていた。 その違和感の正体がこれを読んで少しわかった。それは、“面白い““感動する“を超えて、圧倒的に“正しい“...
素晴らしい作品だということはその通りだし、クラウドファンディングの資金集めから口コミでロングランという展開もいい。でもその盛り上がり方にはずっと釈然としない違和感を持っていた。 その違和感の正体がこれを読んで少しわかった。それは、“面白い““感動する“を超えて、圧倒的に“正しい“ものとして作品が扱われているということ。 “正しい“と位置付けてしまえば、作品を認めない者は“間違っている“として断罪されるほかなく、それは排除の論理を容易に生み出しうる。“正しい“と位置付けた瞬間、“正しいこちら“と“間違ったあちら“との断絶・対立へと接続される。そういう危うさに無自覚なまま、作品を“正しい“と称揚しているように思える。 実際、ある漫画家が本書で「それでもこの作品を見てもなお心が動かないあなたなら僕は嫌いです」と述べているのはとても象徴的だと思う。自らが断絶と対立を積極的に作り出しているし、おそらくらそのことに本人は気づいていない。 “正しさ“という思想が介入することで、感動的な作品が逆に断絶と対立を作り出す。そのことに無自覚なままでいることは、極めて危険な態度だと終戦記念日に思うのでした。 56
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