最後の帝国海軍 の商品レビュー
レイテ沖海戦時に連合艦隊司令長官だった豊田氏の証言。生い立ちから東京裁判で無罪を勝ち取るまで。 卒業席次は23番とそこまでよくはないものの、最後は軍令部総長まで務めているのはすごいことなのか。当時の海軍の雰囲気も伝わってきて、例えば航空に金は注いだが、資材と技術と施設が足りなかっ...
レイテ沖海戦時に連合艦隊司令長官だった豊田氏の証言。生い立ちから東京裁判で無罪を勝ち取るまで。 卒業席次は23番とそこまでよくはないものの、最後は軍令部総長まで務めているのはすごいことなのか。当時の海軍の雰囲気も伝わってきて、例えば航空に金は注いだが、資材と技術と施設が足りなかったとか、大本営発表は故意に戦果を過大評価したものではない、被害についてミッドウェーから嘘が始まったとか。 途中から軍政系の仕事が多くなったが、古賀長官の殉職から横須賀鎮守府長官から連合艦隊司令長官になった。もはや戦局は絶望的という状況で、どのような気持ちで指揮をとっていたのかがわかった。日吉に司令部を上げた経緯もわかったし、軍令部総長として関わった終戦工作についてもいろいろなことを知れた。
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山本五十六と同じ連合艦隊司令長官ながら、後世までその名が残ることはなかったが、戦犯として起訴されながらも無罪判決を受けるなど、当時は有名だったのだろう。その生い立ちから終戦・戦犯となるまでの口述回想録。 人柄や連合艦隊司令長官になるまでの経歴についてはよく分かるのだが、長官就任後のマリアナ沖海戦、サイパン戦、台湾沖航空戦、レイテ沖海戦、沖縄戦など、個々の作戦指揮については、どうも隔靴痛痒の感じがする。誠実に話しをしているようには思うが、なぜそういう判断をしたのかということがよく分からない。特に、特攻戦をなぜ継続したのかについて、それより策がなかったという感じで、その是非について長官としてどう考えていたのかがよくわからない。たしかに、大和を使った水上特攻については、断腸の思いで決断したというようなことは語っているが、そこで苦闘し、あるいは戦死する将兵についてどのように思っていたのか。敗戦近くなり、将兵の死者も膨大になると、感覚が鈍磨するのだろうか。無辜の臣民が死んだり生業を失ったりすることを避けたいとする昭和天皇と対比するにつけ、それが上級軍人の性ということなのかと思った。
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山本五十六戦死後に連合艦隊司令長官をつとめ、最後の軍令部総長として沖縄作戦を命令した海軍大将が残した手記、67年ぶりの復刊。〈解説〉戸高一成
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連合艦隊司令長官を経て軍令部総長として敗戦を迎えた豊田氏のインタビューにより 1949 に刊行された本の再刊。 東京裁判で無罪判決、海軍の道義に基づく観念行動に讃辞を贈られた人物があったことを、初めて知った。 戦争終結に向けた過程、今までで一番よくわかったように思う。
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