中国の近現代史をどう見るか の商品レビュー
第1章 「二〇〇年中国」政治のやまなみ縦走(グローバル・ヒストリーとしての「二〇〇年中国」政治;「二〇〇年中国」に埋め込まれた近代ネイション・ステイトの論理と現実;二〇世紀中国における「ネイション・ステイト」の五段階) 第2章 積層する政治文化と社会的中間層の蓄積(「伝統層」と「...
第1章 「二〇〇年中国」政治のやまなみ縦走(グローバル・ヒストリーとしての「二〇〇年中国」政治;「二〇〇年中国」に埋め込まれた近代ネイション・ステイトの論理と現実;二〇世紀中国における「ネイション・ステイト」の五段階) 第2章 積層する政治文化と社会的中間層の蓄積(「伝統層」と「現代層」の複合的一体性;一九八〇年代政治文化の新たな埋め込み;社会的「中間層」形成の政治的意味) 第3章 政治的委任=代表関係の制度化類型(政治的代表意識の三類型と中国政治;中華民国「総統・議会制」の正統性形成とその矛盾;中華民国国民政府「党国・訓政体制」と憲政) 第4章 後発型ネイション・ステイトに見る政治と経済の相互依存性(国家主導型経済と資本主義の三層構造;中華民国国民政府の戦時体制と経済的帰結;「社会主義ネイション・ステイト」の政治的・経済的自立への曲折) 終章 二〇〇年をくぐりぬけた中国政治社会(「二〇〇年中国」に埋め込まれた政治的重層性と国際システム;「党国体制」内の政治的変容;より柔軟な日中相互理解のためのプラットフォーム形成に向けて;現代中国理解の断代史的視角) 著者:西村成雄(1944-、大阪府、中国政治史)
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通史シリーズの中の1冊なのに歴史学ではなく政治学畑の分析視角で、あまりに叙述が抽象的・理論的にすぎ(それでいて叙述の重複がやたら多い)、わかりきったことを説明するのになぜこうも難解な文体になるのか、全く理解できなかった。刊行が大幅に遅れた上にこれでは誰も納得できないだろう。今ま...
通史シリーズの中の1冊なのに歴史学ではなく政治学畑の分析視角で、あまりに叙述が抽象的・理論的にすぎ(それでいて叙述の重複がやたら多い)、わかりきったことを説明するのになぜこうも難解な文体になるのか、全く理解できなかった。刊行が大幅に遅れた上にこれでは誰も納得できないだろう。今まで岩波新書を数百冊は読んでいるが、青版・黄版時代を含めここまで読みにくい本はなかった。
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このシリーズはお気に入りで、最終巻が出るのを楽しみにしていた。5巻から4年の間隔が空いた。中国は年々変化してるし、習近平体制にも変わったので今後を展望する内容でくるのかと期待していた。 期待は、当然個人的なものだけど、てんで裏切られた。一定の知見の持ち主でないとこれは理解できない...
このシリーズはお気に入りで、最終巻が出るのを楽しみにしていた。5巻から4年の間隔が空いた。中国は年々変化してるし、習近平体制にも変わったので今後を展望する内容でくるのかと期待していた。 期待は、当然個人的なものだけど、てんで裏切られた。一定の知見の持ち主でないとこれは理解できない。大学教授が院生に研究課題を命じるような文章だ。とんでもなく分かりにくい。いったいこれを読んで理解できる読者はどれくらい存在するのだろうか。編集者を罵ってやりたい。
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19世紀に入るころ、清の乾隆帝退位(1796年)からの約200年の中国史を総攬するイメージ。この200数十年の歴史の中に中国らしさ、共通点を探る興味深い内容。易姓革命の考えが定着している国において、1912年の革命、1928年の国民政府、1949年の共産中国の成立は自然なものとし...
19世紀に入るころ、清の乾隆帝退位(1796年)からの約200年の中国史を総攬するイメージ。この200数十年の歴史の中に中国らしさ、共通点を探る興味深い内容。易姓革命の考えが定着している国において、1912年の革命、1928年の国民政府、1949年の共産中国の成立は自然なものとして受け入れられたとの説明は今まで気が付かなかった。1949年に至る数年間の動きが、どのように共産党の優位を招いていったかという説明は、劉邦・項羽の楚漢の争いの再現のように思われた。そして1978年12月の鄧小平による毛沢東指導の過去を部分否定する新たな政府正当性を持った権力の成立というものも、その長い文脈の中でとらえた方が分かりやすいのかも。しかしこの長期間をまとめて説明するので、全体としてはやや理解しづらかった。
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岩波新書の中国近現代史シリーズの最終第6巻。「中国近現代史をどう見るか」はかなり難解な概念・視角からの「眺望」となっているように思う。世界システム論的なアプローチが基底にはあるようなのだが、ちょっと一般読者には敷居が高いかも。
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