息子と狩猟に の商品レビュー
ここで俺は死ぬ。 その一線を越えた探検家や登山家の死生観は文明の庇護下で生きる一般人のそれとは異なっていることが多い。 先日読んだ角幡唯介の本では「男にとっては、自らの命を代償にして自然へと分け入っていかなくては生死を感じることができない」と書かれていた。 命の大切...
ここで俺は死ぬ。 その一線を越えた探検家や登山家の死生観は文明の庇護下で生きる一般人のそれとは異なっていることが多い。 先日読んだ角幡唯介の本では「男にとっては、自らの命を代償にして自然へと分け入っていかなくては生死を感じることができない」と書かれていた。 命の大切さが叫ばれるが、世の中は命の軽さが目立つ事故、事件ばかりだ。 それは、命を考えることに蓋をして、綺麗な世界しか見ていない故の結果ではないか。 サバイバル登山家を自称する筆者は、猟銃を手に山に分け入り、食料は現地調達という方向に突き詰めた登山家だ。 人間とケモノの命に違いはあるのか。 「バカな人間でも撃ち殺したら警察に捕まる。賢くてもケモノならいい。なんでだ?」 「本当はケモノを撃つように人間を撃つことだってできる」 「引き金を引くのは自由だ。それが自然のルール。でも警察に捕まる。それは人間のルール」 狩猟に入った山奥で、人間の死体を処理する犯人に遭遇して、息子の首筋にはナイフが当てられている。 対して、父親は猟銃を持っている。 八千メートルを越え、登山の死亡率は三割を超えるK2で、登頂直後の悪天候に巻き込まれた二人。 目の前には先日、遭難して死んだばかりの死体がある。 どうするか。 極限の一線を越えた本物で無いと書けない世界がある。 たった170ページの二編で、その世界を垣間見る。 「我々が死んで、死がいは水に溶け、やがて海に入り、魚を肥やし、又人の体を作る。個人は仮の姿、ぐるぐるまわる」 ぐるぐるまわる。文明化した人類は自然の輪からずれている。
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息子と狩猟に 服部文祥著 根源的なモラルへの問い 2017/7/22付日本経済新聞 朝刊 息子を連れて狩りに出た倉内は子鹿を追いかけている途中、振り込め詐欺グループの内紛で死体を処理するために山に入った男と遭遇し、息子を人質に取られてしまう。男の手にはナイフが、倉内の手に...
息子と狩猟に 服部文祥著 根源的なモラルへの問い 2017/7/22付日本経済新聞 朝刊 息子を連れて狩りに出た倉内は子鹿を追いかけている途中、振り込め詐欺グループの内紛で死体を処理するために山に入った男と遭遇し、息子を人質に取られてしまう。男の手にはナイフが、倉内の手には猟銃が握りしめられている。あなたが倉内だったら、どうする? タカシは今、世界第2位の標高8611メートルのK2の頂上に立っている。キャンプ地に戻る途中だが、天候の悪化に加え雪崩がやまず、雪洞で待機するしかない。氷点下の寒さが命をむしばむ中、何かを食わねば死んでしまう。近くには登山途中で息絶えた遺体が転がる。あなたがタカシだったら、どうする? 登山家の著者が放つ初の小説は、表題作と「K2」の2つの小編を収める。狩猟や登山の過酷な環境では、人も一つの生命体にすぎない。愛する者の命が、あるいは自らの命が絶体絶命の危機にあるとき、人間の常識を逸脱しなければ生存できないとしたら――。著者は根源的なモラルへの問いを突きつける。 倉内とタカシの決断は、万人に受け入れられはしないだろう。しかし、この問いは読み手の心に波紋となり広がる。なぜなら、装備を極力持ち込まず、食糧を現地調達して山を登る「サバイバル登山」を実践する著者にしか書けないリアルが描かれているからだ。(新潮社・1600円)
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