ポルトガル物語 の商品レビュー
まだ読み終わっていない。けれども、数章読んだだけでわかる。 一気に呑みこむように読んではいけない本である。 著者が48歳で日本を出て漁師の夫について移り住んだのは南ポルトガルの漁村。時は1995年。日本ではとっくにバブルもはじけて、という時期だけれど、このころのポルトガルの田舎町...
まだ読み終わっていない。けれども、数章読んだだけでわかる。 一気に呑みこむように読んではいけない本である。 著者が48歳で日本を出て漁師の夫について移り住んだのは南ポルトガルの漁村。時は1995年。日本ではとっくにバブルもはじけて、という時期だけれど、このころのポルトガルの田舎町がどんなもんだったか想像はつく。 のどかな南の村、なんていう生易しいものでは、現実は、なかったはずだ。「町は不気味なほどの静けさで、隣近所の人々は顔見知りになっても挨拶もしてくれない」。クーデターからまだ20年しか経っていないのだ。小さな村の東洋人はさぞかし異質だったろう。私がリスボンに暮らし田舎を旅したのは1991年、ああいう場所に住み、あの視線を毎日浴びたのかと、その孤独を思いお腹の底がひやりとする。 「孤独な東洋女の最初の友達は、犬たちであった。そのうち同じように街をうろつく私の顔を覚えたらしく、どの犬も目が合うと、やぁ、奥さん…と歯を見せて笑うようになったのである」。どこでも犬は気がいいもんだ。 とはいえ、そのまま20年をそこで暮らした青目さんも友人ができ、リゾート地として村も開けてきて、外国人居住者も増え、自分の生活というものができていった。 数ページずつのエッセイは、ひとつひとつが短編のようだ。 「退屈な午後などには”フェリーニの庭”と勝手に名づけた荒れ果てたパテオを、無遠慮にいつまでも覗き込んだりした」という藤の花が咲き誇る庭を持つ独居隣人の話、「美しき老人の頽廃の館」はとびきり素敵だし、ラグーンでいい気になってサングリアなど飲んでいるうち、潮が満ちて「大声で叫んで近所にいる漁師に船で迎えに来てもらうことも一度や二度ではなかった」という夏の話もいい。 ゆっくり、ゆっくり、時に前に戻ったりもしながら、読んでいこう。
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