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江戸城 天下普請の謎 の商品レビュー

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2017/08/18

今年の2月に江戸時代当初の江戸城の図面が松江で発見されたので、きの別冊宝島が刊行されたようです。 今までよく分からなかった慶長期(慶長12年〜14年、1607年〜09年)の江戸城(特に本丸)がどういう構造だったのか、この「江戸始図」で明らかになったそうです。 江戸城最初の慶長の天...

今年の2月に江戸時代当初の江戸城の図面が松江で発見されたので、きの別冊宝島が刊行されたようです。 今までよく分からなかった慶長期(慶長12年〜14年、1607年〜09年)の江戸城(特に本丸)がどういう構造だったのか、この「江戸始図」で明らかになったそうです。 江戸城最初の慶長の天守が、姫路城のように小天守・櫓と繋がった連結式天守だったとか、本丸を攻めるには南側は熊本城のように5連続枡形門を通らないといけなかったり、 北側は武田氏や北条氏が用いた3重の馬出し(騎馬の出入り口で3重の土塁を築いて敵が入りにくくする)が採用されたりと、無敵の城だった事が分かったとの事。 こういう資料が、松江なんかで見つかったりして、今までよく分からなかったことが分かったりして、江戸時代は本当に面白い。ただ後半の江戸についての記述はところどころ間違いがあるので要注意。

Posted byブクログ