フラットランド の商品レビュー
三体で次元を落とされる地獄を味わった後、フラットランドでは強烈なビクトリア時代のミソジニーを味わう… 女性を無力化する仕組み満載の二次元世界の設定にびっくりだけど、教育を与えず、無能だと思い込ませていればヨシ…つまり3次元の現実と同じです。
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トップスリーに入る、すごく好きな本。 私が想像できないものもたしかにどこかに存在しているんだと思わされた。
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二次元界(フラットランド)に住む四角形が主人公の物語。 ある日、主人公の四角形氏はほかの次元に行って帰ってくる。数学者である彼は次元の違いを理解する。お話としてはそれだけだが、二次元の世界の歴史や文化、そこに住む図形たちの生活を四角形氏が丁寧に説明してくれ、異世界を描くファンタ...
二次元界(フラットランド)に住む四角形が主人公の物語。 ある日、主人公の四角形氏はほかの次元に行って帰ってくる。数学者である彼は次元の違いを理解する。お話としてはそれだけだが、二次元の世界の歴史や文化、そこに住む図形たちの生活を四角形氏が丁寧に説明してくれ、異世界を描くファンタジー作品として読みごたえがある。 ほかのファンタジーと一線を画すのが、この世界の「認識」の仕方について多くを割いているところだろう。二次元界の住人は四角形も三角形も円もそのまま見ることはできない。見えるのは線と点である。何角形かで身分の決まるフラットランドで、図形の彼らがどう図形を認識するのかということが説明される。この説明を通して、読者はふと三次元に住む自分の視界は二次元でしかないことに思い至る。そういう仕掛けの本なのだ。 感覚では捉えられない高次元を四角形氏はアナロジーにより理解した。それを追体験した読者も理性によって、三次元の世界から飛び出すことができるようになるだろう。目の前の世界が広がるような壮大な読書体験ができた。 また、フラットランドは文化的にかなりのディストピアである。19世紀に書かれた本で、著者が風刺としてそう書いているのか、何の気なしにそういう世界を作ったのかは分かりかねたが、風刺と思って面白く読んだ。
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フラットランドの二次元人が一次元のラインランドを思考し、三次元のスペースランドを垣間見たお話。 二次元世界なんて想像したこともなかったが、そこで見られる世界の様子は確かに納得感がある。 一次元は更に難解ではあった。 二次元人がひょんなことから三次元世界に踏み込んだ途端、自分の世界...
フラットランドの二次元人が一次元のラインランドを思考し、三次元のスペースランドを垣間見たお話。 二次元世界なんて想像したこともなかったが、そこで見られる世界の様子は確かに納得感がある。 一次元は更に難解ではあった。 二次元人がひょんなことから三次元世界に踏み込んだ途端、自分の世界の真理を悟り更に奥に潜む世界に想像を巡らす。 三次元人間の自分は四次元世界を想像することは出来ないが、理解することは出来る。 別の本だが三次元人間の消化器官は口から1本でつながっているが、二次元人間でその構造は身体を二つに分断してしまうため機能しないことを思い出した。
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Kindle電子書籍版(牧野内大史さん訳)も読んでいて、好きな作品。こちらを古書で見つけて購入。 3次元人が4次元について考えるにはどうしたらよいか、ということを、2次元人が3次元に触れる話を通して、導こうとしてくれている。 ・・・と思うのだが、結局、実際にやろうとするとでき...
Kindle電子書籍版(牧野内大史さん訳)も読んでいて、好きな作品。こちらを古書で見つけて購入。 3次元人が4次元について考えるにはどうしたらよいか、ということを、2次元人が3次元に触れる話を通して、導こうとしてくれている。 ・・・と思うのだが、結局、実際にやろうとするとできないのがもどかしい。 その観点で楽しむとしたら(多くの読者がそうだと思うが)、フラットランドの社会や歴史に関する説明は冗長な気はする。原作が出版された頃のイギリスでは風刺として楽しまれたのかもしれないが、今の日本で読むと、そうでもない。
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主人公は二次元世界に生きているため、三次元の存在を知らないし、立体を見ることはできない。その主人公が「三次元の福音」を受けるべき存在として選ばれ、三次元世界を経験する。 三次元世界で見る平面は、二次元世界の存在から見ると「内部」なんだなぁ、と。二次元世界から見る線も、一次元世界の...
主人公は二次元世界に生きているため、三次元の存在を知らないし、立体を見ることはできない。その主人公が「三次元の福音」を受けるべき存在として選ばれ、三次元世界を経験する。 三次元世界で見る平面は、二次元世界の存在から見ると「内部」なんだなぁ、と。二次元世界から見る線も、一次元世界の存在から見ると内部なのも理解できた。 ということは、四次元世界の存在には私たちの内部が見えちゃうということ、なんだろう。 二次元の世界にない「上」という方向。三次元の私の世界にないどこかの方向のどこかの空間を知る四次元の存在に想いを馳せた。 ところで特別収録の「アイドゥン・ブユクタシによる三次元の外へ誘う写真シリーズ≪フラットランド≫」もめちゃくちゃ良かった。ほかの作品も見てみたい。
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19世紀末の英国で書かれた奇想小説。2次元の平面世界であるフラットランドの数学者である主人公の正方形が前半はフラットランドのその奇妙な世界を解説、後半は3次元世界からやってきた球と遭遇するという話。次元の解説は判りやすく、フラットランドの描写も興味深い。ただ風刺小説としての傾向が...
19世紀末の英国で書かれた奇想小説。2次元の平面世界であるフラットランドの数学者である主人公の正方形が前半はフラットランドのその奇妙な世界を解説、後半は3次元世界からやってきた球と遭遇するという話。次元の解説は判りやすく、フラットランドの描写も興味深い。ただ風刺小説としての傾向が強く、フラットランドの世界は持つ辺の数による厳格な階級社会であり、中でも女性は辺を一つしか持たない最下級の存在である直線とされ差別されているという、スィフトを思わせるディストピアとして描かれている。作中、女性はかなり酷い扱いだが翻訳は原作の差別的表現を削除した改訂版とのことなので、オリジナルがどれほどのものなのか気になってしまう。
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主人公は二次元の世界に住む正方形。この世界では女性は線,男性は多角であるほど身分が高く,最高位の聖職者はほぼ円!1884年出版の数学フィクションの本書は,異次元小説の元祖とも言われ,知識が無くても物語として楽しめる一方で,現在も数多くの科学者に影響を与えています。
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次元が変わると世界観がこうも変わるのかという気づきがありとても面白かった。2次元の世界フラットランドの仕組みは数学の観点でとても興味深かったが、3次元に比べとても窮屈に感じられた。とはいえ4次元に比べると3次元も窮屈なのかな?
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『科学道100冊』の1冊。 原著の発刊は古く、1884年、ヴィクトリア朝時代である。 ちょっと変わったお話で、主人公は二次元世界に住む正方形である。 「えっと、二次元世界ってなんだ?」というところから話を始めなければならないが、タイトルにもなっている通り、フラットランド、つまり...
『科学道100冊』の1冊。 原著の発刊は古く、1884年、ヴィクトリア朝時代である。 ちょっと変わったお話で、主人公は二次元世界に住む正方形である。 「えっと、二次元世界ってなんだ?」というところから話を始めなければならないが、タイトルにもなっている通り、フラットランド、つまり、すべてのものが平面上に存在するのが二次元世界。縦と横の世界である。 我々が普段暮らしているのはこれに高さが加わった三次元の世界、スペースランド(空間世界)である。 一方、次元を下げていくと一次元の世界となり、つまりは線の世界、ラインランド。さらに次元を下げてゼロ次元の世界となると、点だけの世界、ポイントランドとなる。 もしも三次元でない世界にヒト(いやヒトなのかはよくわからないが)が住んでいたとしたら、どんなふうに暮らしているのかという、ある種、ファンタジックというかSFというか、そんなテイストのお話である。 訳者はまえがきで、昨今流行りの哲学や数学や科学を物語仕立てで読ませる作品群のさきがけと言っているが、なるほどそんな風にも捉えられそうである。 物語の前半は、二次元世界の正方形が自分の暮らしを語る体裁である。 この世界では多角形になればなるほど身分が高く、最高位の聖職者は円である。鋭角を持つものやいびつなものは蔑まれていて、人々はなるべく多角形に近づけるように、結婚相手を考えたりするなど(?)で、子孫の角を増やそうとしている。正方形氏の息子も首尾よく五角形となっている。 皆が皆、平面世界に暮らしていたら、誰が何角形なのか、なかなかわからなそうなものだが、声の高さで知ったり、触って確かめたり、視覚的に判断したりする。 他人に触る場合には礼儀があって、どうやって触ってもよいというものではない。うかつに角で刺してしまったりすれば、相手が傷ついたり死んだりしてしまう。 視覚の場合は、繊細かつ複雑な判断が必要になる。例えば六角形を真横から見た場合、中央に均一に見える部分があり、両側は比較的短く暗めに見えるといった具合。 兵士はもちろん尖っており、二等辺三角形で身分が低い(同じ三角形でも正三角形の方が身分が高い)。 女性は線であり、身分も低いが、まぁこのあたりは時代だろうか。 その他、家の構造や気候などが語られる。 この正方形氏があるとき、一次元世界や三次元世界と出会う。 さて、彼にはどのように見えるのか、というのが後半である。 物語的に非常におもしろいかと言われると、そうではないのだが(身分や階級の話が多くてげんなりするし)、この時代に「次元」について深く考えていることの先見性には驚かされる。 この本に触発されて物理や数学の道に進んだ人も多いのだそうで、そういう意味ではランドマーク的な作品なのだろう。 発刊当初はさして評価はされなかったのだが、アインシュタインの相対性理論が発表されて、四次元の可能性について多くの人が考察するようになってから脚光を浴びるようになったという。 それもそのはず、物語の終盤で、正方形氏はなんと、自らの世界を俯瞰するかのような三次元世界を知った際、その三次元世界をも俯瞰するさらなる次元(ソートランド(思考世界))もぼんやりとだが思い浮かべているのだ。もっともその代償は大きくて、これに関する論文を書き上げた正方形氏は、誰にも理解されないばかりか、「危険思想」を持つものとして投獄されてしまう(!)のだが。 著者のアボットは、神学者の家に生まれ、26歳で学校長を務めるほどの秀才だった。数学や古典にも精通していた人物だったとのこと。 巻末には本作に想起されたという写真家による、次元を超えた世界をイメージする作品群である。表紙もその1枚。
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