ウメサオタダオが語る、梅棹忠夫 の商品レビュー
梅棹忠夫アーカイブスから読み解く若かりし頃のことや、亡くなる前後のことなどが書かれている 梅棹忠夫がどんな人だったのかを知ることができる
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小長谷(こながや)さんは現在民博の理事。ぼくが初めて知ったころはまだ助手だったから、(お互い)年をとったということか。小長谷さんは梅棹さんとはモンゴル研究で共通点はあるものの、直接の弟子ではない。梅棹さんがまだ目が見えていたころに会ったのはわずか一度だけだという。その小長谷さんは...
小長谷(こながや)さんは現在民博の理事。ぼくが初めて知ったころはまだ助手だったから、(お互い)年をとったということか。小長谷さんは梅棹さんとはモンゴル研究で共通点はあるものの、直接の弟子ではない。梅棹さんがまだ目が見えていたころに会ったのはわずか一度だけだという。その小長谷さんは梅棹さんの死後、すぐに「梅棹忠夫展」の委員長を命じられた。しかも、準備期間はわずか半年。彼女がまずやったことは梅棹さんの著作集22巻を通読して、面白い箇所を抜き出すことだった。彼女はそれを一月でやっている。梅棹さんはよく知られているように、膨大なメモ、ノート、写真を残している。それはきちんと整理されていて、それがゆえ、梅棹さんは失明後も「月刊梅棹」と言われるほど著作を出し続けることができた。(実際は月間以上だったが)そうして残された資料=梅棹アーカイブスをもとに小長谷さんが梅棹さんの世界をフィールドしたのが本書である。ここにはもちろん、モンゴルでの調査、登山記、女性論(小長谷さんが「女問題」と呼ぶのは?)を初め、万国博やのちの民博につながる活動なども出てくるが、それよりぼくが面白かったのは、ハガキなどを通して梅棹さんと友人、師たちとの関係が浮き彫りになっていることである。とりわけ冒頭に置かれた今西錦司さんとのあつれきの話は刺激的で、これを冒頭に置いたのはちょっとねらったかと思った。ちなみに、ぼくは梅棹さんの密かなファンで、著作中22巻もいまだに売らずにもっているし、2011年に民博で開かれた「梅棹忠夫展」も友人と見に行ったりしている。
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