卵を産めない郭公 の商品レビュー
パソコンも携帯電話もない時代、 1960年代前半のアメリカ東部の学生街を舞台にした物語。 ベトナム戦争以前のお話ですから、 学生運動やカウンターカルチャーが起こるのはまだ少し先。 主人公は優等生タイプの男子学生と、 けして美人とはいえないエキセントリックな女子学生。 ふたりは別々...
パソコンも携帯電話もない時代、 1960年代前半のアメリカ東部の学生街を舞台にした物語。 ベトナム戦争以前のお話ですから、 学生運動やカウンターカルチャーが起こるのはまだ少し先。 主人公は優等生タイプの男子学生と、 けして美人とはいえないエキセントリックな女子学生。 ふたりは別々の大学に通う恋人同士なのですが、 男子学生は彼女の言動に振りまわされてばかり。 でも、物語の終盤に差し掛かると、 その突飛な言動は、 彼女がその胸の奥に 生き辛さを秘めているからだとわかってきます。 けっきょく、恋人にも理解されないとあきらめ、 彼女は大学を中退してひとり故郷へ帰ります。 はじめは裕福な家庭に育った子供たちの ハチャメチャな学生生活を 描いているだけのように思えましたが、 読み進むにつれ、 ふたりの抱える孤独感がひしひしと伝わってきて、 読後には、ほろ苦い余韻を味わうことができました。 この小説は 1969年にアメリカで映画化され、 日本では「くちづけ」というタイトルで上映されたようです。 ライザ・ミネリが主人公の女子大生を演じて アカデミー主演女優賞にノミネートされたみたいです。 彼女のファニーフェイス加減が 原作のイメージにぴったりだったのかもしれませんネ。 ちなみに、ライザ・ミネリにとってこの作品が初主演映画、 アラン・J・パクラ監督にとってもデビュー作だったそうです。 べそかきアルルカンの詩的日常 http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/ べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え” http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ” http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2
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山崎まどかさんの本で映画化タイトルの「くちづけ」として知ってて読んでみたかったんだけど、まさか村上春樹が新訳を出していたとは!突っ込みどころはあれど甘く痛ましい青春小説で好きだった。巻末の村上柴田対談も面白い。
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読み応えがあるクレイジー青春小説。今まで読んだ青春小説の中でも群を抜いて荒々しく不安定。それでいて無敵ってこういうことなんだなあと微笑ましくなるようなカップルのお話。 意味が分からない箇所がところどころ出てきます。(大半は本当に意味なんてものなかった) 失恋したときなんかに読むと...
読み応えがあるクレイジー青春小説。今まで読んだ青春小説の中でも群を抜いて荒々しく不安定。それでいて無敵ってこういうことなんだなあと微笑ましくなるようなカップルのお話。 意味が分からない箇所がところどころ出てきます。(大半は本当に意味なんてものなかった) 失恋したときなんかに読むと元気になりそう。 真面目な少年はどんどんクレイジーな青年になり、ネジが飛んでる少女はそのままネジを飛ばし続け女性になっていく。プーキーのまともな一面というか冷静に現実を見つめている描写もあって、いつの時代も女性の方が現実的なんだなとその逞しさについにやけてしまった。 お風呂で擦りむいた傷がヒリヒリとしみるような甘酸っぱい1組のカップルの恋愛を垣間見させてもらいました。将来なんて言葉だけの空想上のものだと本気で思っている大学生だからこそのファンタジー。原文より村上春樹の訳の方がイキイキしているらしいので、日本人でよかった。
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60年代アメリカの青春小説。時代的背景は十分に伺えるが、青春小説はいつの時代もいたないものだと改めて思った。 村上春樹×柴田元幸の対談が本作を理解するのに大いに役立った。このシリーズはこれからどんどん読んでいきたい。
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村上柴田翻訳堂の1冊。 60年代初め、アメリカ東部の名門カレッジに通う男女の恋愛と青春…というと爽やかに聞こえるが、全くこのプーキーにはたまげる。彼女のセリフを訳すのはさぞ大変だっただろうな。 ジェリーたち男子のビール漬けのめちゃくちゃぶりも常軌を逸している。 でも、今の学生より...
村上柴田翻訳堂の1冊。 60年代初め、アメリカ東部の名門カレッジに通う男女の恋愛と青春…というと爽やかに聞こえるが、全くこのプーキーにはたまげる。彼女のセリフを訳すのはさぞ大変だっただろうな。 ジェリーたち男子のビール漬けのめちゃくちゃぶりも常軌を逸している。 でも、今の学生よりどこかピュアにも感じて、彼らが可愛らしくも思えたり。 終わり方、好きかも。死なないでプーキー。
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すごい暴力と酒、セックス。これが青春?これがアメリカ?それとも時代の力なのか? 地平線までなーんにもない、途切れのない自由な空間にいながら、どこにも出口のない、解決策のない悲劇的な雰囲気が漂っている。 主人公の少年は、か細い自我をこれでもかっていうくらいに破壊され、ひん曲げら...
すごい暴力と酒、セックス。これが青春?これがアメリカ?それとも時代の力なのか? 地平線までなーんにもない、途切れのない自由な空間にいながら、どこにも出口のない、解決策のない悲劇的な雰囲気が漂っている。 主人公の少年は、か細い自我をこれでもかっていうくらいに破壊され、ひん曲げられ、それでもやっぱり自我にしがみついて、そうしている間に、大切なものを失ってしまったのかな。 この少年の自我や人格が形成されていく過程が、何とも切ない。初めにバス停で少女と出会ったころからの彼の自我の変化は、おもっきり非連続的だし、破壊と創造とが繰り返されている。 そして、一方で、少女の方は、連続的で、一貫してる。 このコントラストがとても象徴的だった。少女の方は、世界を世界としてそのまま理解し受入れられていて、何事においても、少年の上を行っている。そのくせ、悩みは彼よりも深く、純粋で、周囲からみれば当たり前のようなことが、実は当たり前にできない。自分をコントロールしようというモチベーションすらもっていなくて、常に出たとこ勝負。好きなものは好き、嫌なものは、嫌。だから、会うたびに別人みたいに見える少年にも動じなかった。ある一線を超えるまでは。 少年は、自分をコントロールしたい、世界に対して勇ましくありたいと思いながら、どこかで自分をコントロールできなくなることが怖い。 そういう自我のすれ違いが、まだ若い2人にとっては決定的に「見えて」しまった。もうすこしスレて、鈍感さを身に着けてさえいれば、他の出口があったのかもしれないのに。 -----Original Message-----
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1960年代前半のアメリカ。 大学生の青春小説…なんだけど、実感として「青春だなぁ」とかそんなノスタルジーは感じず。 もっと若い頃に読めばよかったのかも。 架空の時代の、架空の人類の話って感じで、わたしとしてはSFを読んでいるようでもあった。 青春小説にせよSFにせよ、読め...
1960年代前半のアメリカ。 大学生の青春小説…なんだけど、実感として「青春だなぁ」とかそんなノスタルジーは感じず。 もっと若い頃に読めばよかったのかも。 架空の時代の、架空の人類の話って感じで、わたしとしてはSFを読んでいるようでもあった。 青春小説にせよSFにせよ、読めてよかったし、出会えてよかった一冊。 あとがきに書いてあるけれど、サリンジャーを彷彿とさせる場面もあって、会話とか場面とかの鮮やかさが読んでいて心地よかったです。 プーキーのクレイジーさが、痛々しくも魅力的。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
60年代、アメリカの名門カレッジが舞台。とにかくしゃべりまくる女子学生プーキーと内気なジェリーの恋愛青春もの。結末がどうなるかは冒頭に出ている。 作品に出てくる物事やセリフ、行為があとにもつながってくるのが面白い。 「何か目に見えないものが、何か精神的なものが、そこからこぼれ出ていった」というようないろんな気分が醒めていくような記述が印象的。 わりと自分の実生活にもあるような気がして… 人生の重要な部分にいつも注意を払いそこなている、というプーキーの最後のほうの発言には心がちょっと痛い。 また読み返したい小説。
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1960年代前半の東海岸の名門大学を舞台に、風変りの女子学生と彼女に振り回される男子学生の生活や恋愛模様を描いた青春小説。 「女の子版のキャッチャー・イン・ザ・ライ」かのごとく、饒舌に語り続ける女子学生は本当にストレンジであるとしか言いようがないが、一方で饒舌さが何かを隠すため...
1960年代前半の東海岸の名門大学を舞台に、風変りの女子学生と彼女に振り回される男子学生の生活や恋愛模様を描いた青春小説。 「女の子版のキャッチャー・イン・ザ・ライ」かのごとく、饒舌に語り続ける女子学生は本当にストレンジであるとしか言いようがないが、一方で饒舌さが何かを隠すための常套手段であることは、フロイディアンには有名なテーゼである。結末に表れるもの悲しさは、その饒舌さの背後にあるものが彼女の背負う固有の生きづらさであった、ということを示しており、それまでの冗長な語り口はそのコントラストをはっきりと示すためだけに表現されているように見える。 それにしても、アメリカ青春小説を読むたびに出てくる「フラタニティ」のシステムは、何度読んでもよくわからないし、正直気持ち悪さだけが残る。まあ、日本の旧制高等学校の「ストーム」も似たようなものだと思うが、一方で「ストーム」は既に日本ではほぼ消え去っている文化なわけで、大学という閉鎖的な空間の中でのおままごと遊びという印象が拭えない。
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海外の青春小説はどうも苦手だ。日本のものは割と好きなのだけど。おそらく、どこまでが普通で、どこから破目の外し過ぎか理解できないからなのだろうと思う。
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