超越論的語用論の再検討 の商品レビュー
現代のカント主義と特徴づけられることの多いアーペルの超越論的語用論の立場が、カント主義である以上にフィヒテ主義として特徴づけられるべきだと主張するとともに、そうした観点から超越論的語用論に対して寄せられる批判に回答を試みている本です。 アーペルは、言語論的展開以後の分析哲学にお...
現代のカント主義と特徴づけられることの多いアーペルの超越論的語用論の立場が、カント主義である以上にフィヒテ主義として特徴づけられるべきだと主張するとともに、そうした観点から超越論的語用論に対して寄せられる批判に回答を試みている本です。 アーペルは、言語論的展開以後の分析哲学において、言語が哲学的反省の対象であるばかりでなく、反省の媒体でもあることをとらえていないと考えています。そのうえで彼は、超越論哲学において追及されてきた自己関係性に関する議論を現代的な文脈のなかに導き入れることで、哲学的反省の主題であると同時に哲学的反省の媒体でもある言語の問題に新たな光を当てようとしました。 著者は、こうしたアーペルの超越論的語用論の立場が、古典的な意識哲学において自己関係性の問題を主要なテーマとしてとりあげたフィヒテの立場になぞらえて理解できると考えています。そこでは、ハーバーマスやクールマンによって、どのような文にも隠覆的なかたちで含まれているとされた、遂行的な次元についての「行為知」をめぐる問題が、フィヒテの「事行」をめぐっての議論において考察されていると解釈できることが明らかにされています。 一方で著者は、フィヒテの哲学が自我の自己定立という意識哲学的な枠組みに縛られていたことを指摘し、超越論的語用論において考察されている「理想的コミュニケーション共同体」の問題について突っ込んだ考察をおこない、「共同行為としての論議」という考えに基づいて、アーペルらの議論に対する批判に回答を試みています。 ハーバーマスの哲学については比較的よく知られていますが、彼とともに超越論的語用論を提唱したアーペルの思想については、いまだ一般の読者にも理解できるような適当な概説書が見当たりません。本書は、著者の博士論文をもとにしており、とくにフィヒテ哲学との関係を論じている第3章が少し難解に感じられますが、アーペルの思想の根幹にある問題についておおまかな理解を得ることができる本だといえるのではないかと思います。
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