役に立たない読書 の商品レビュー
紙の書籍にこだわり、古典を愛する著者の本に対する愛情は十分に伝わりました。実際に著者と同意見の方も多いと思います。 しかし、一方でもう少し現代における読書形態を受け入れてもいかがでしょうか。 アマゾンのレビューに関しては、匿名であるがゆえに、”まったく信頼するに足りない”と切...
紙の書籍にこだわり、古典を愛する著者の本に対する愛情は十分に伝わりました。実際に著者と同意見の方も多いと思います。 しかし、一方でもう少し現代における読書形態を受け入れてもいかがでしょうか。 アマゾンのレビューに関しては、匿名であるがゆえに、”まったく信頼するに足りない”と切って捨てていいます。本当にそうでしょうか?ネットが普及した現代において、レピュテーション等の集合知はますます価値を高めていると私は考えます。 著者はベストセラーを読む価値がなく、古典にこそ価値がある。なぜなら長い間人々の評価をくぐり抜けて生き残ったものであるからだと説きます。レビュテーショントは、まさに古典の様に優れたものをより優れる現代の発明だと考えます。 古典が発表された時代においては、それを読むことができる人はごく一部の人たちであったでしょうし、古典を愛でている現代とは読書形態も異なっていたと想像できます。古典を愛すればこそ、もう少し時間軸を取り入れた読書法へと議論を展開して欲しかったと思います。
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月に〇冊読んだ→そういう人に限って深みのない人物 インテリジェンスを涵養するのではなくペダントリー(pedantry 学問、知識をひけらかすこと)へ 書物の価値は時間が決める 芥川賞、直木賞を30年後に読む人がいるか? 実用書はそれなりに役に立つ→○○に合格する、料理本→マニ...
月に〇冊読んだ→そういう人に限って深みのない人物 インテリジェンスを涵養するのではなくペダントリー(pedantry 学問、知識をひけらかすこと)へ 書物の価値は時間が決める 芥川賞、直木賞を30年後に読む人がいるか? 実用書はそれなりに役に立つ→○○に合格する、料理本→マニュアルを読むのと同じ 図書館で借りた本の知識はしょせん借り物の知識☆座右に備えておく本なら買うべき 本の定義が違う?福澤諭吉の「福翁自伝」、古典全集 本との出会い 神田、本郷、早稲田 ☆筆者は作家 出版社から本が送られてくる環境の人の意見→本は買うべきという発想になる/図書館ですぐに何回も利用可であれば所有と同じ/本が売れなくなるから勧めないだけ 発見をカードに書いておく☆ブクログ 本を買うこととは関連なし・図書館ですぐにまた読める環境であれば買ったことと同じ 論語 顔淵編「礼にあらざれば聴くことなかれ」 アマゾンのレビューは信頼しない 翻訳書の限界 ディスカウントストアでデオドラントを買った→大割引の店で匂い消しを買った ☆外国との差がなくなって状況を理解できる現代 本棚は脳みその延長☆ブクログ・ネット上で再現可能 ネットで自分の本が1円で売っている→日本文化の衰退局面の一つ 日本古典文学全集 恋は日本ではタブーではない 古事記 国生み神話 男女が尋常にみとのまぐわいをなして子供が産まれる。 耳で読む 源氏物語 平家物語 朗読データ参照 漱石「夢十夜」 お前がちょうど俺を殺したのはちょうど百年前だね。☆漱石の短編・有名ではないからあまり知らない 日本では電子書籍は普及しないだろう→日本語独自の問題 文字の種類 世界一同音異義語が多い
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「(読書だけしても)問題意識がなければ始まらない」、「課題図書をあたえて感想文を書かせても意味がない」など、おおいに首肯する部分もあるし、電子書籍と紙の図書の比較など、そうかなあ、と思う部分もあり。古典についての語りはさすがに面白く、ちゃんと古典を読んでおきたい、とあらためて思わされた。 でも結局、何かの役に立てようと思って本を読むときもあり、そうではないときもあり、色んな役割があるよね、という自分の基本姿勢について、補強するようなところしか頭に残ってないです。 あと、ちょいちょい著者の書いた他の本の宣伝が出てくるのには「ん?」となった。
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ひとそれぞれに読書スタイルがある。しかしながら、読書を楽しむ人にとって、いくつか共通点が存在する。それを見つけるのもこんな本を読んだ時の楽しみになる。読書家は、えてして蔵書家でもある。楽しめました。
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20170802 ついつい本を買ってしまい、気付くと何がどこにという状態になるのでタイトルから参考に買ってみた。結局は本を読む事に対しての気構えとして、 「自由に読み、ゆっくり味わい、そして深く考える。」 事だと理解しました。
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題名がいい.仕事で読まなきゃいけない本は読書じゃないだろうから,ここで取り上げられているのは広い意味での娯楽としての読書.その点に関しては.読みたい本だけを読めばいい,という著者の主張は正しい.著者の主張を知るには最初の50ページくらいを読めばいい.あとは自分の仕事,趣味に関する...
題名がいい.仕事で読まなきゃいけない本は読書じゃないだろうから,ここで取り上げられているのは広い意味での娯楽としての読書.その点に関しては.読みたい本だけを読めばいい,という著者の主張は正しい.著者の主張を知るには最初の50ページくらいを読めばいい.あとは自分の仕事,趣味に関する話で好きな人は好きだろうが,この本の趣旨からすれば蛇足.20,30分立ち読みをすれば十分な内容. それにしても,たくさんの自分の本から引用.こうでもしないと一冊分の新書の原稿がうまらないのか.
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人生はできるだけ楽しく、豊かに(^_^)豊かに楽しく生きることの秘鍵が、すなわち自由な読書♪\(^o^)/自由に読み、ゆっくり味わい、深く考える、絶対の自由と自主、それこそが読書にとってもっとも大切!!(^o^)
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読書への愛情を感じます。 ・役に立つかどうかでなく、自分の娯楽として読書しなさい。 ・本は自分の一部だから、本当に自分の支えや血や肉となった本は手元に蔵書しよう。 ・無理に読む必要はないが、関心を持った所から古典に入ると不易な人間の営みが理解できる こんな感じでしょうか。
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リンボー先生の読書論である。リンボーさんが読書についてこれまで何も書いてこなかったわけではない。『時間の作法』でもそういうことを書いていた記憶がある。しかし、読書の仕方、本の買い方、古本屋さんとのつきあい方等々まで書いたのは本書が初めてだろう。リンボーさんの基本は本は借りず自分で...
リンボー先生の読書論である。リンボーさんが読書についてこれまで何も書いてこなかったわけではない。『時間の作法』でもそういうことを書いていた記憶がある。しかし、読書の仕方、本の買い方、古本屋さんとのつきあい方等々まで書いたのは本書が初めてだろう。リンボーさんの基本は本は借りず自分で買え、である。ぼくもそう思うが、これはだれにでも実行できることではない。本に費やすだけのお金の余裕があってできることである。本を読むことをなりわいとしていない人にこれを求めるのは難しい。ぼくの妻などは、本は二度読むことなどほとんどないから、借りて読むのがいいという。これはお金がもったいないという以外に、ものを貯め込みたくないという考えからだ。にもかかわらずぼくは本をどんどん買っていくので、いつも妻との争いが絶えない。それはともかく、リンボーさんは人の家にいけばまず本棚を見せてもらうという。同じことは内田樹さんも言っていた。そういうものがなければ、その人との接点がなく、とりつくしまがないというのである。たとえ、そこにある本をすべて読んでいなくても、この人がどんなことに関心をもっているかがわかる。そこから共通の話題がみつかったりする。読んだから売ってしまえば、まさにとりつく島がなくなってしまう。本棚は自分にとっても過去の記録なのである。/リンボーさんは本は楽しく読むことで、感想をもとめたり書いたり要求してはいけないという。これは教師としてはなかなか実行できないが、子どもに本を読んでやって、では感想は?というのも実はおろかな質問なのだとわかる。楽しいと思うことが大事なのである。そこで、感想文となると、楽しさも半減してしまうのである。だから、読書会も必要ないとリンボーさんは言う。徹底している。ただ、リンボーさんは古典の先生で源氏や平家を翻訳するくらいだから、古典については感想を書いたり、注釈を調べたりせざるをえない。だから、リンボーさんの読書論が一般にも通用するかは少し問題ではある。
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