1,800円以上の注文で送料無料

社会契約と性契約 の商品レビュー

3

1件のお客様レビュー

  1. 5つ

    0

  2. 4つ

    0

  3. 3つ

    1

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2022/03/10

本書の翻訳を手掛けた中村敏子氏の新書を読んで感銘を受け、そちらで引用されていた本書にも挑戦したのだが、読みにくいことこの上なく、早々に読み始めたことを後悔した。論文の翻訳であるため、おそらく意訳をほとんどせず直訳に近いかたちで訳しているのだと思われるが、日本語なのにまったく入って...

本書の翻訳を手掛けた中村敏子氏の新書を読んで感銘を受け、そちらで引用されていた本書にも挑戦したのだが、読みにくいことこの上なく、早々に読み始めたことを後悔した。論文の翻訳であるため、おそらく意訳をほとんどせず直訳に近いかたちで訳しているのだと思われるが、日本語なのにまったく入ってこず、内容の一割も理解できた気がしない、つらい読書体験だった。巻末の解説文は翻訳者である中村氏の言葉で書かれているため、かろうじて理解ができた。解説文の助けを借りながら本書の内容を要約してみる。 自由主義国家は、神から権力を授けられたという王を倒し、自由で平等な市民が社会契約を結ぶことにより成立したとされてきた。しかし実際には、女性は自由も平等も享受することができず、家庭生活が行われる私的領域に押し込められ、政治や経済が行われる公的領域からは排除されたままだった。ペイトマンは、社会契約が結ばれる前に、男女の性関係にかかわる「性契約」が結ばれ、男性が女性の肉体を性的に使用する権利を獲得するのだと論じた。 「性契約」は、現代では結婚契約という形で結ばれる。契約論者は、契約により自由で平等な人間関係が保証されると主張するが、結婚契約はまったくそれに当てはまらない。なぜなら契約当事者が自由にその立場を選ぶことができず、生まれつきの性別によりその立場が決まるためで、近代を象徴する「身分(ステイタス)から契約へ」という言葉にも反している。また、西洋における結婚は夫婦の一体化を本質としており、一体化した存在の決定権を持つのは「自然により」男性であるとされたことから、結婚契約により夫は妻の肉体の使用権を与えられる。夫は、妻の肉体から生じるサービスすなわち「人格にかかわる財産」を享受することができるが、これは労働契約における、雇用者と労働者の関係ともよく似ている。 労働契約は、労働の成果を生み出すことがその内容とされるが、労働の成果は労働者の肉体から切り離すことはできない。それゆえ労働契約は、労働の成果だけを目的とするのではなく、労働者の肉体そのものを拘束する契約とならざるを得ず、結婚契約と同様に主従を伴う人間関係を生み出す。ここからペイトマンは、当事者が契約に合意すれば奴隷状態は許されるのか、また売春や代理母は容認されるのか、といった議論へと発展させながら、契約という概念そのものを批判していく。 まず憤りを感じるのが、中学校でも必ず習う社会契約論を唱えたロックもルソーも、女性を自由で平等な個人とは考えていなかったという事である。王が支配し、身分差別がはびこる国家を倒し、自由と平等を勝ち取った誇り高き革命の後も、女性は自身の肉体を自由に扱う権利すら持たなかった。女性たちがその不条理と闘ってきた歴史を、きちんと学校でも教えるべきだと思う。当時のロックやルソーを責めても仕方ないが、中学生のとき感じた彼らへの尊敬の気持ちは返してほしい。これは日本の教育に対する憤りだ。 父なる王を倒した市民(=息子たち)が、自由・平等・友愛(←この言葉も男性だけを対象としている)とはしゃぐ中、女性は家庭に押し込められて男たちに支配されていた時代から、フェミニズムは一歩一歩、女性の抑圧状態を正してはきた。しかしこの本を読むと、そもそも社会契約によってつくられた国家そのものが、その背後にある性契約に基づいているのであり、男性のみを「個人」として想定してきたことがわかる。ペイトマンが言うように、女性をそのような社会に統合するのはそもそも無理があるのであり、異なる肉体を持つ男性と女性というありのままの存在を包括するような、新しい政治社会の在り方を考えていくべきなのではないかと思う。

Posted byブクログ