国のない男 の商品レビュー
20世紀アメリカの作家カート・ヴォネガット(1922-2007)の遺作となるエッセイ集、2005年。執筆当時の、ブッシュ政権下のアフガニスタン空爆やイラク戦争などの政治状況を踏まえ、アメリカ批判、文明批判、人間批判を、ほとんど叫びのような痛切な怒りとペシミズムでもって、しかし同時...
20世紀アメリカの作家カート・ヴォネガット(1922-2007)の遺作となるエッセイ集、2005年。執筆当時の、ブッシュ政権下のアフガニスタン空爆やイラク戦争などの政治状況を踏まえ、アメリカ批判、文明批判、人間批判を、ほとんど叫びのような痛切な怒りとペシミズムでもって、しかし同時にどこか突き放したような乾いたアイロニーを交えながら、綴っている。 外国の作家によって書かれた、しかもその作家が所属する社会の、その当時特有の文脈を色濃く反映したエッセイというのは、当該の社会やそこにおける文化の文脈を共有していない者にとっては、その真意を自分の身体感覚によっては実感しきれないようなところがあって、どうしても隔靴掻痒の感がある。言葉の意味や語彙そのものや文脈の、その作用のしかたや強度の程度が、よくわかりきることができないから。 それでも、芸術や文化の意義を語る言葉は、胸に響く。 「芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、いかにも人間らしい手段だ。上手であれ下手であれ、芸術に関われば魂が成長する。シャワーを浴びながら歌をうたおう。ラジオに合わせて踊ろう。お話を語ろう。友人に宛てて詩を書こう。どんなに下手でも構わない。ただ、できる限りよいものを心がけること。信じられないほどの見返りが期待できる。なにしろ、何かを創造することになるのだから。」(p41) 「ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、部屋の隅に追いやることはできる。」(p89) 「下層階級がある限り、わたしはそのうちのひとりだ。/犯罪者がいる限り、わたしはそのうちのひとりだ。/刑務所にひとりでもだれかが入っている限り、わたしも自由ではない。」(p121-122) 「焚書といえば、わたしは全国の図書館員に心からの感謝を捧げたいと思う。それは彼らが力持ちでもなく、強力な政治的コネも莫大な財産も持っていないにもかかわらず、図書館の棚からある種の本を追放しようとする非民主的で横暴な連中に断固として抵抗し、ある種の本を借りた利用者のリストを思想警察の手に渡らないよう破棄してくれたからだ。〔略〕わたしの愛するアメリカは、公共図書館の受付にまだ存在しているのだ。」(p128) 「いま地球の免疫システムはわれわれを排除しようとしていると思う。エイズや新種のインフルエンザや結核が流行っているのはそのせいじゃないか。わたし自身、地球はわれわれを排除すべきだと思う。」(p151) 「馬鹿な年寄りがいる。わしらが経験したような大きな災難を経験しないうちは大人になれない、なんてのたまうやつらだ。」(p162) 「どんな芸術においても、いちばん大切なのは、芸術家が自分の限界といかに戦ったかということだ。」(p167)
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いただき本。 「ユーモアというのは、いってみれば恐怖に対する生理的な反応なんだと思う」というのは新鮮だった。 地球環境破壊や民族問題などいろいろな人間の負に目を向け中がら、それをユーモアをもって語った話。 また、気が熟せば、より自身に刺さりそうな気もした。
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「スローターハウス5」以来、久しぶりのカート・ヴォネガットさんの作品です。82歳の時のエッセイ集です。作家の独特な感性の一端を感じることができる作品です。彼の作品も可能な限り翻訳されているものは全て読みたいと思っています。 本書で、覚えた言葉が「ラッダイト」という言葉です。 著者...
「スローターハウス5」以来、久しぶりのカート・ヴォネガットさんの作品です。82歳の時のエッセイ集です。作家の独特な感性の一端を感じることができる作品です。彼の作品も可能な限り翻訳されているものは全て読みたいと思っています。 本書で、覚えた言葉が「ラッダイト」という言葉です。 著者は兄弟の多い家族で育ち、ユーモアのセンスを磨いてきたことが、冒頭に語られています。小説でも感じることができる独特の感性のようなものは、幼少期から積み重ねられた経験から滲み出たものなのでしょう。 よし、いよいよ「タイタンの妖女」に手を伸ばそうと思います。読む順番が逆だろ!との突っ込む声が聞こえてきそうですね。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
高校生の頃、当時カート・ヴォネガット・ジュニアと言っていた著者の『猫のゆりかご』を読んだ。 確かスラップスティックSFと言われていたと思う。 確かに未来の、人類の危機を描いたSFではあったけれど、その文章はあまりSFっぽくはなく、ナンセンスな文章がごくごく短いパラグラフに区切られて、笑いながら読めるんだけど、私は怖かった。 ナンセンスな文章で読者を笑わせながら、その向こうにいる作者の目は絶対に笑っていないと思えたから。 だから、すごく好きな本だけど、この作者のそれ以外の本をあえて避けてきたのだ。 読みたい気持ちを抱えながら、『プレイヤーズ・ピアノ』も『スローター・ハウス』も、読まずにここまで来てしまった。 著者の遺作ということで平積みされていたこの本を買ってからも、結局今まで読めずにいた。 今回ようやく読み始めたら…一気読みだった。 ああ、何でもっと早くこの本を読まなかったのか。 この本が出版されたのは2004年。 9.11の後、アメリカがイラクに報復をしたころに書かれたのだと思う。 ”うちの大統領はクリスチャンだって?アドルフ・ヒトラーもそうだった。” ”あの戦争(ベトナム戦争)は百万長者を億万長者にしただけだ。そして、今日の戦争は億万長者を兆万長者にしている。いま、わたしはこれを進歩と呼んでいる。” カート・ヴォネガットはドイツ系アメリカ人で、彼はアメリカ人としてドイツと戦った。そして捕虜としてドイツのドレスデンで収容されている時、イギリスの空爆でドイツ兵もろとも焼き殺されるところだったのだという。 この体験が、彼に戦争の理不尽を生涯に渡って考えさせることになる。 ”外国人がわれわれを愛してくているのはジャズのおかげだ。外国人がわれわれを憎むのは、われわれがいわゆる自由と正義を押しつけようとしているからではない。われわれが憎まれているのは、われわれの傲慢さゆえなのだ。” これは、私も当時思った。 「自由と正義を守るため」というけれど、自由と正義を破壊するためにアメリカが狙われたわけでは、決してない。 自分達の正義だけをごり押しする、その姿勢が憎まれたのだろうと。 それから10年後、ドイツ系移民の末裔であるドナルド・トランプの行った政策は、ヴォネガット思想のの対極をいくものだった。 ちなみにトランプ氏の父は、ナチスのイメージで見られることを畏れて、ドイツ系移民であることを隠してスウェーデン系移民であると名乗っていたのだそうだ。 多民族国家というのは複雑なのね。 ”じつは、だれも認めようとしないが、われわれは全員、化石燃料中毒なのだ。そして現在、ドラッグを絶たれる寸前の中毒患者のように、われわれの指導者たちは暴力的犯罪を犯している。それはわれわれが頼っている、なけなしのドラッグを手に入れるためなのだ。” これはもう、高嶋哲夫の『バクテリア・ハザード』を読めという神の啓示でしょうか。 ”ビル・ゲイツはこう言っている。「あなたのコンピュータの成長を温かく見守ってやってほしい」しかし、成長しなくてなならないのは人間なのだ。” うむうむ。 心に刻んでおかねば。 ”結局、教育なんか何の役にも立たないのだ。凶暴な指導者たちが権力の座についている。客観的な情報よりも、自分の考えが正しいと思い込んでいる人間がたくさんいるということだ。しかも、そのほとんどは高等教育を受けている。どういうことだ?” 日本の現状も似たようなものだ。 最近特に。 ”「進化」なんてくそくらえ、というのが私の意見だ。人間というのは、何かの間違いなのだ。われわれは、この銀河系で唯一の生命あふれるすばらしい惑星をぼろぼろにしてしまった。それも、この百年ほどのお祭り騒ぎにも似た交通手段の発達によって。うちの政府がドラッグに戦いを挑んでいるって?ドラッグよりガソリンと戦え。われわれの破壊中毒こそが問題なのだ!車にガソリンを入れて、時速百五十キロで走って、近所の犬をはねて、徹底的に大気を汚染していく。ホモ・サピエンス(知恵ある人)を自称しながら、なんでそんなめちゃくちゃをする?” 破壊中毒か…。 辛辣な言葉を次々に書き連ねながら、でも結局著者は人間という存在を信じたいと思っている。 ”唯一わたしがやりたかったのは、人々に笑いという救いを与えることだ。ユーモアには人の心を楽にする力がある。アスピリンのようなものだ。百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっとうれしいと思う。” 何だか泣けてくる。 彼の本をもっと読まねば。
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ヴォネガットはきっと人間の良心を信じていたんだろう。辛口でとんがっていながらユーモアにあふれた彼のエッセイの行間から、それが見える。
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「世界は悪くなった? OK、ヴォネガットさん。ところで、1960年と比べると何%悪化しているのですか?」と思ってしまう程度には、僕はエビデンス主義に取り込まれているようです。本文はじい様の印象論だけでできてますからね。それが悪いわけではないけれど、21世紀にもなるとそれは説得力を...
「世界は悪くなった? OK、ヴォネガットさん。ところで、1960年と比べると何%悪化しているのですか?」と思ってしまう程度には、僕はエビデンス主義に取り込まれているようです。本文はじい様の印象論だけでできてますからね。それが悪いわけではないけれど、21世紀にもなるとそれは説得力を持たないかもです。
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戦後アメリカを代表する作家・ヴォネガットの、シニカルな現代社会批判が炸裂する遺作エッセイ。この世界で生きる我々に託された最後の希望の書。〈解説〉巽孝之
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