尾崎放哉 の商品レビュー
面白かった。多分野に渡る放哉ファンによるアンソロジー形式で、当時を知る井師やをはじめ、最期を看取った所縁の人、評伝を書いた吉村昭さんの講演や吉屋信子さんのエッセイなど多彩で、多面的に「尾崎放哉」を捉えることができたと思う。 岩波文庫で放哉句集を解説した池内紀氏のエッセイのまとめ方...
面白かった。多分野に渡る放哉ファンによるアンソロジー形式で、当時を知る井師やをはじめ、最期を看取った所縁の人、評伝を書いた吉村昭さんの講演や吉屋信子さんのエッセイなど多彩で、多面的に「尾崎放哉」を捉えることができたと思う。 岩波文庫で放哉句集を解説した池内紀氏のエッセイのまとめ方も独特でした。池内氏は時代を経て放哉の影に隠れ気味になってしまった井泉水に同情的でした。
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多分野の人からの寄稿で成り立っている一冊。 「つぶやきが詩になるとき」という副題は、ぴんと来なかった。 印象深かったのは 「往還の彼方に」浜田寿美男(心理学) ……なにしろ放哉は言葉の人であった。そして言葉は向けられるべき他者なしには成り立たない。いかに独語しても、そこにはつねに相手の存在が予定されている。言葉が口をついて出た瞬間、あるいは文字になって書き込まれた瞬間、誰もいないところにあっても、他者が立ち上がる。…… 浜田氏は〝往還〟という言葉を起点に、放哉の人生を記していたが、今までの〝漂白の俳人〟というイメージにはない放哉を見た気がした。 放哉が行く場所(生きていく場所)に惑い、帰る場所(故郷鳥取)も無くし、往き還り付いた場所が小豆島であった。往還の果ての放哉の言葉は、単なるつぶやきではなく、死に逝く=海に還る 、すなわち、往くも還るも一体となったところで吐き続けた、他者ありきの表現なのではないか。 放哉の表現は、彼の人生とともに語られることが多い。全集なども句集のほかに、書簡集、短編・随想・日記なども収録されていて、それぞれ個々に読めば面白いのだが、それらを安易に結びつけた作家作品論になってしまうと、それぞれの表現が死んでしまうように感じる。
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