言葉の贈り物 の商品レビュー
この感想を書くことにの直接関係してくるのだけど、うまく文章を書こうとすること。気を付けよう。結局誰かのマネになってしまうから。 この例えもなるほどと思ったので書く。「読みやすい本だけを読む、それは不必要にやわらかい食べ物を食べ続けるのと同じである。」 「情報を得ようとするとき頭は...
この感想を書くことにの直接関係してくるのだけど、うまく文章を書こうとすること。気を付けよう。結局誰かのマネになってしまうから。 この例えもなるほどと思ったので書く。「読みやすい本だけを読む、それは不必要にやわらかい食べ物を食べ続けるのと同じである。」 「情報を得ようとするとき頭は冴えているが、心は閉じている。胸を開こうとしない者に、どうして書物が門を開くことがあるだろうか。」
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文章の内容が難しいところがたくさんあった。でも、いい言葉もたくさん見つけられた。 文章を書く上で技術的なことはもちろん大切。だが、それに偏りすぎると自分が本当に伝えたいことを殺してしまうこともある、というのが印象的だった。 論語に、「友達にするべき条件」が3つあることは知って...
文章の内容が難しいところがたくさんあった。でも、いい言葉もたくさん見つけられた。 文章を書く上で技術的なことはもちろん大切。だが、それに偏りすぎると自分が本当に伝えたいことを殺してしまうこともある、というのが印象的だった。 論語に、「友達にするべき条件」が3つあることは知っていた。でも、徒然草にも同じような内容が書いてあるのは初めて知った。友達にしてはならない条件7コと友達になるべき条件3コが知れて面白かった。
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今まで読んだ本の中で、一番パワーを感じた一冊。 頭でなく心を開いて読もうと言葉に向き合うと卓球の長いラリーをした後のような、爽快な疲れが訪れます。 言葉だけでなく、仕事って?生きるって?といった生の営みを色んな角度から鮮やかに彩ってくれる本でした。 立ち止まってしまった時、立...
今まで読んだ本の中で、一番パワーを感じた一冊。 頭でなく心を開いて読もうと言葉に向き合うと卓球の長いラリーをした後のような、爽快な疲れが訪れます。 言葉だけでなく、仕事って?生きるって?といった生の営みを色んな角度から鮮やかに彩ってくれる本でした。 立ち止まってしまった時、立ち止まりたい時にもう一度読み直して新たな発見をしたいです。
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りまのさんが評価が5だったのを見てよんでみました。 今の生活にも響くし、毎日少しずつ音読して読むようにしました。 音読することで文からより言葉になっていくようで、大切に読める気がします。
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購入は数年前のクリスマス。妻へのプレゼントとあわせて自分用に…。 各章で紹介されている書籍が、参加している古典読書会とも一部かぶるものがあり、興味深かった。 なお、あとがきに書かれた若松さんの文章書き体験の話につよく共感した。案外、スタートはそんなところにあるのかもしれない。ま...
購入は数年前のクリスマス。妻へのプレゼントとあわせて自分用に…。 各章で紹介されている書籍が、参加している古典読書会とも一部かぶるものがあり、興味深かった。 なお、あとがきに書かれた若松さんの文章書き体験の話につよく共感した。案外、スタートはそんなところにあるのかもしれない。まず心の赴くままにかいてみよ。
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言葉というものが教えてくれる癒しの力を感じられる本。 それには言語としての言葉だけでなく、他に対する願いや祈りのようなものも含まれる。 こんな言葉を他人に対して使えるような人間でありたいなと思いました。
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こんな質感を持って心をえぐる言葉に触れられることで、 自分の中の眠っていたコトバが刺激されてきそうだ。
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言葉には触れられない 見ることはできても なぞることしかできない なのに形があるようでないから 簡単に心に触れてしまう 触れたら 痛みになって 温もりにさえもなって 一つの風景でさえ あって 言葉というものは 一つの星のようだと 思った 命のようだと 思った 一つ...
言葉には触れられない 見ることはできても なぞることしかできない なのに形があるようでないから 簡単に心に触れてしまう 触れたら 痛みになって 温もりにさえもなって 一つの風景でさえ あって 言葉というものは 一つの星のようだと 思った 命のようだと 思った 一つの勇気に変えて 歩いていく 一つの未来を描いて 生きていく その軌跡を 私も 知っていた 同じ場所で 言葉を見ている人に 会ったことはある 近づきたいと思った人もいて 今も追いかけている人も いる でも 出会ったこともない そんな人が 同じ空の下にいるだけで なんだか 勇気をもらえるような 気がした
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言葉を軽く扱いすぎる、自分の言葉に責任を持たなさすぎる、と感じることが多い昨今、言葉を大事にしていく大切さをしみじみ感じる。 それでいて、言葉で語られない、語り得ないことの重要さを常に発しておられる若松さんに、これからも書物を通してついて行きたい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
人間の偉大さとは、つねに、人間が自分の生を再創造することである。自分に与えられているものをつくり直すこと。自分が仕方なく受け取っているものをも、きたえ直すこと。労働を通じて人間は、自分の自然的な生をつくり出す。(「労働の神秘」『重力と恩寵』シモーヌ・ヴェイヌ著、田辺保訳)(p.34) 読むとは、書物という畑から言葉を摘み、食することである。比喩ではない。だから、同じ書物を読んでもそこから得るものは当然違ってくる。私たちは同じ食物を食べても同様にそこから栄養を受け取っているわけではない。またくり返し読むとは、書物という畑に何度も鍬を入れ、耕すのにも似ている。(p.51) ある人が、こういう色を染めたいと思って、この草木とこの草木をかけ合わせてみたが、その色にならなかった。本にかいてあるとおりにしたのに、という。 私は順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色を私たちはいただくのであるから、どんな色が出るか、それは草木まかせである。ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずにこちら側に宿すのである。(p.95) 民藝の精神において、もっとも重要なのは、創造という行為から離れることである。人は、人の力だけでは何も作り出すことはできない。その認識を深めることが民藝の作り手たる者に求められている自覚であり、誇りだった。志村は、色を「出す」、色を「作る」とは、いわない。つねに「色をいただく」という。(p.96) 信じようとするのは、人間の努力である。努力にはいつか限界がある。一方、信じられていることに気が付くのは発見である。それは人間が造るものではなく、与えられるものなのではないだろうか。(p.123)
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