知の進化論 の商品レビュー
「知識と情報の拡散」の歴史をひもとき、今後の知のあり方について考察した本。 技術の進展にともない、知識や情報は開放されていきました。AIが発展すると知のあり方はどう変わっていくのか。情報検索に大きな変化が訪れる可能性は高そうです。
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知の進化論、というテーマに絞れば星5個でもよい。人類の歴史の中で、情報を得るということがその時代ごとの技術によってどう変遷したか、価値が変わったかを豊富な研究と経験を混ぜたまとまりのある内容となっている。 インターネット登場後の話も結構面白く、例えばヤフーのような登録型検索から自...
知の進化論、というテーマに絞れば星5個でもよい。人類の歴史の中で、情報を得るということがその時代ごとの技術によってどう変遷したか、価値が変わったかを豊富な研究と経験を混ぜたまとまりのある内容となっている。 インターネット登場後の話も結構面白く、例えばヤフーのような登録型検索から自動的にクロールしていく形になるまでの筆者の試行錯誤は良いネタとなっている。 人工知能を生かす話は情報発信の話などもあり、おかしいと思った箇所、書き方、不足してる話題もなく本当にまとまっててしかも読みやすかった。 ただ、これはこの本が2016年だからというのもあるが、現代の情報洪水社会に対する向き合い方については少し楽観的すぎるように感じた。 情報取得、発信のハードルが非常に下がった今、情報洪水に飲まれないための話がもう少し欲しかった。爆発的な技術進化についていけるほど、人間の進化は早くないから気をつけないと、と個人的には思う。
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知の進化論 百科全書・グーグル・人工知能 (朝日新書) 新書 – 2016/11/11 知識のありようの変化、知識はどこから来てどこへ行く? 2016年12月19日記述 野口悠紀雄氏の本。 2016年11月30日第一刷発行。 本書の第三章~第六章の一部は週刊新潮に連載した 「世界史を創ったビジネスモデル」の一部を基にしています。 印象深かったのは第一章の印刷技術が登場する以前の世界は相当に今と違う。 メモすら残さない。 残すにしても鏡文字で記録する(レオナルド・ダ・ビンチ)などちょっと信じられない思いだ。 教会や大学でもラテン語によって守られていた。 ラテン語は古代ローマ帝国の文字で別にキリスト教にゆかりがあるとか聖なる文字だというのは全く関係のないことである。 情報、知識は秘匿するものだった時代から印刷技術によって大きく公開、記録される時代への変化。 百科全書が一般の人々の知る欲求に答えるようになったこと。 Web、インターネットの発達による進化。 (野口悠紀雄氏も研究室から統計書などの類が無くなったと語っている。自分の家でも百科全書など分厚い本は確かに無い) 90年代のパソコン通信やブラウザ戦争の時代は自分もまだ幼稚園、小学生時代でそういうことがあったのだという歴史上の出来事という感覚がある。 ただGoogleの誕生でネット検索がしやすくなったこと、Gメールの登場(日本公開2006年)youtubeなどのネット動画の普及(2006年以降)ストリートビューの登場などは自分も直接間近で目撃してきた変化だ。 まさに革命とも呼ぶべき大変化を実感してきたのだという思い、過去との変化を実感する。 最終章においては日本企業がハードウェア中心主義から脱却できていない事を指摘し例えば自律運転が主流になれば人工知能やビッグデータを扱える企業が事業をコントロールすることになると、日本の全産業がGoogleの支配下に入ってしまう危険性を指摘している。 ただ失われた20年で大した変化も起きていない多くの日本企業はむしろGoogleの支配下に入った方が変わっていく機会になるのではないかと思えてしまう。 例えば自分の勤める勤務先でも会社のメールは未だに勤務先でしか見れないしメールボックスの保管量も少ない500MBくらい?だっただろうか。 放っておくとメールボックスが一杯ですとの連絡メールが頻繁に来るようになりいちいち不必要な昔のメールを削除しなくてはならない。 この事を野口悠紀雄氏は過去のメールサービスの実態として本書に記載している。 しかし大半の日本企業においては未だに現在進行系の話なのだ。 Gメールが勤務先が導入していればこんな無意味な事をしなくて済むはずなのにという思いが時々する。 Googleフォビアが酷いケースが多いように思う。 労働者としてはただただ仕事がやりにくいだけだ。 知識を増やすことは疑問の発見や好奇心を満たす為に以前として重要。 また名前を知ること記録することが以前以上に大事になった。 名前が分からないと検索もしにくい事は事実だ。
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技術革新による知識・情報のあり方について、その変遷を纏めたもの。面白いものの、ある程度知識がある人にとっては、新しい発見は少ないかも。若干、人工知能に関するパート(最後の方)が尻つぼみ感を感じました。
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かつて知識は隠されるべきものであった。 「一子相伝」とは、学術や職人芸などの秘伝や奥義をたった一人の子に伝承すること。 師匠と弟子の関係だって、我が子に伝えるのと同じ位の人間関係が出来てこそ。 つまり秘伝&奥義の情報を厳重に秘密にして管理することこそが、自分たちを守ること...
かつて知識は隠されるべきものであった。 「一子相伝」とは、学術や職人芸などの秘伝や奥義をたった一人の子に伝承すること。 師匠と弟子の関係だって、我が子に伝えるのと同じ位の人間関係が出来てこそ。 つまり秘伝&奥義の情報を厳重に秘密にして管理することこそが、自分たちを守ることになったのだ。 時代を経ても、今でもそれを信じている人がいる。 「既得権益」という言葉が、それを象徴している。 自分たちの利権をしゃぶり尽くし、徹底的に利用している。 しかし、本当にこれからも、そのままでいいのか? 私には、秘伝&奥義を守ることで、永遠に生き残れるとはどうしても思えない。 必死になって守っている情報の価値が、時代と共に陳腐化していく事実は、今までも散々見てきたはずだ。 世界は急速にフラット化している。 情報は一瞬で伝達され、無限に、しかもコストゼロで複製されてしまうのだ。 とにかく発想の転換をしないと、これからは生き残っていけない。 今現代は、すでに過去とは全く違う世界なのだ。 そして更に未来は、もっともっと変化(進化)していく。 そのことを再認識させられる本でした。 (2016/12/13)
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Vol.380 知識の価値はどこに見出されるのか?知はどこからきてどこへ流れていくのか。http://www.shirayu.com/letter/2016/000776.html
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・百科事典(=web )での勉強は権威のギルド的利益を脅かす。 ・コピペレポートはけしからん。そもそもコピペでできる課題を出し続ける教師がけしからん。
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週刊誌連載のエッセイ的な内容を、最近のインターネット周りのトレンドに合わせて選択して並べ直した印象。 「知」の進化についての歴史的な記述で、印刷技術の登場によって知識が万人に開放され始めたことが述べてある。インターネットの登場はそれに相当するインパクトがあり、知識が誰にでもタダで手に入るものになったというところはその通りであると思う。 百科全書、グーグル、人工知能は、それぞれ過去・現在・未来における万人への知識を分け与える媒介となっていると思う。 あまり今後の予想的なことは、著者の見解としては書かれておらず、全体も世間一般のまとめ的な印象がぬぐえない内容でした。
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本のテーマは、3つある。 第1のテーマは、知識の価値が隠す事で高まるのか、広めていく事で高まるのか? そして、第2テーマが、このインターネット時代に、知識生産と供給のビジネスモデルが確立出来るのか? 第3のテーマが、人工知能の時代に、人間が知識を保有する意味があるのか? 知識を...
本のテーマは、3つある。 第1のテーマは、知識の価値が隠す事で高まるのか、広めていく事で高まるのか? そして、第2テーマが、このインターネット時代に、知識生産と供給のビジネスモデルが確立出来るのか? 第3のテーマが、人工知能の時代に、人間が知識を保有する意味があるのか? 知識を限られた人の中で閉じ込める事で、財を産むモデルであった事をギルドや聖書、ラテン語、医学、大学の歴史を通じて解説してくれている。百科事典の出現による知識の解放とインターネットによりフリーに近付く知識。 大量の知識が情報としてあふれるインターネットの世界で、もはや知識が財を産む事は無くなってしまったのか? 情報を人より速く手に入れる事で財を成した人、情報をフリーでばら撒く事で財を成した人、情報をコピーして財を成す人、情報を公開して他人に作業をさせる事で財を成した人など、情報や知識を供給する仕組みにフォーカスする事で、第2のテーマへの考察がある。 第3のテーマは、人間が知識を獲得する事への喜びある限り、人工知能に取って代わられる事はないという筆者の慧眼が説明される。 筆者は、野口悠紀雄氏。三年ほど前?にブロックチェーンの本を読んで、当時、まだあまり明らかにされていなかったブロックチェーンの仕組みやビジネスモデルについて非常に分かりやすい本を書かれていたのが印象的、そちらの本もお薦め。 この本は、情報や知識をビジネスにしている人に考えさせられる良い本だと思う。
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印刷技術の発明以前、知識や情報を得るためには、大変なコストが必要であった。すなわち、知識や情報は、一部の権力者や専門家にしか得られないものであり、またそのような人々は知識を独占することで自らの権益を守っていたのである。しかし、活版印刷という知識を生み出す技術が発明され、一般市民にまで様々な情報が伝わると、隠蔽されていた事実が暴露されたり、実用的な知識を得たいと思う人々が増えたりして、民集の意識が高まってきたことで、欧米での各種革命が起こるに至ったのである。 20世紀の後半になると、インターネットという新しい通信手段が登場し、知識や情報の拡散に関する条件は大きく変わった。また、近年急速に進化している人工知能を軸とする新しい情報技術は、多くの問題をもたらす危険性があることは事実である。例えば、レコメンデーションによって積極的に情報を得ようとする主体性が失われたり、それに依存することで、人間の行動が知らず知らずのうちに人工知能にコントロールされたりすることである。その他にも、人工知能の担い手が一部の大企業に限定される危険や人工知能自体が暴走する危険性などがあるが、これらの問題に固執して、現在の傾向に反抗することは産業革命期に起こったラッダイト運動と同じことである。 さらに、人工知能の進歩により、これまで人間が行ってきた知的作業の多くを代替することも見込まれるが、あくまで知識は持つことそれ自体に意味がある。なぜなら、新しいアイディアを発想するためには、知識が不可欠であり、また質問する能力を知識が高めるからである。したがって、知識や情報を容易に入手できるようになった現在、知識をえることは何かのために手段(資本財)ではなく、それ自体を目的(消費財)として捉えることが重要であり、そのような資本財としての知識の価値は、人工知能がいかに発達したところで少しも減るわけではないのである。 本書は、第1章と第2章で、知識が独占されていた時代から公開される時代になるまでの変遷が明快に記されており、世界史の勉強にもなって読みやすい。第3章以降は各論的な話であり、専門的な用語(カタカナ語が多い)が登場してやや難しく、また少々脱線が多い気もする(なぜなら本書の中心はあくまで「知」であるはずだから)。 著者の知識に対する考え方には共感でき、特に知識を得ること自体が自己目的的行為であると主張している点は、日頃から思っている信条に合致するところであった。理由として挙げられている質問する能力を知識が高めるという点を発展させれば、疑問点が浮かびやすかったり、吸収率があがったりすることを理由とする、授業に予習して臨むことの必要性や、行事に綿密に準備をして臨むことの必要性も導くことが出来そうである。
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